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溝口 紀子(みぞぐち のりこ、1971年7月23日 - )は元柔道選手。静岡県磐田市出身。バルセロナオリンピック女子柔道52kg級銀メダル。日本人女性初のフランス代表柔道チームコーチ(アテネ五輪)。身長162cm。得意技は内股、寝技。 フランス語が堪能な国際人であり、スポーツ文化論の研究者。現在は静岡文化芸術大学教授〔溝口 紀子 MIZOGUCHI Noriko - 教員紹介/静岡文化芸術大学:SUAC 〕。 == 略歴 == *1981年 小4(静岡県/福田町立福田小学校)から柔道を始める。 *1986年 中学(静岡県/福田町立福田中学校)2年生の時、全日本体重別選手権56kg に出場し3位入賞を果たす。 *1987年 中学3年生の時、当時の女王山口香に憧れて56kgから52kgに階級変更した。同年、全日本体重別選手権の52kg級決勝で山口香と対戦し送襟絞で一本負け。これをきっかけに寝技を強化し「まむしの溝口」と異名を持つ。 *1988年静岡県立浜松西高等学校2年の時、講道館で開かれた全日本選抜柔道体重別選手権52kg級で当時10連覇の女王・山口香を破った。 *1889年 全日本体重別選手権52kg級2連覇、初のベオグラード世界選手権代表となり7位入賞。 *1990年 埼玉大学進学後の全日本体重別選手権52kg級決勝で、植田睦に敗北。12月の福岡国際女子柔道選手権52kg級で初優勝。 *1991年 全日本体重別選手権52kg級で植田睦に再度敗北し世界代表の座を奪われる。12月の福岡国際女子柔道選手権52kg級で2連覇。 *1992年 バルセロナ五輪代表最終選考会を兼ねた全日本選抜体重別選手権にて、ライバル植田睦に決勝で僅差判定勝ち。初の五輪代表の座を獲得。7月31日、バルセロナ五輪において52kg級決勝で地元スペインのムニョスに惜敗するも銀メダルを獲得。12月の福岡国際52kg級決勝でムニョスにリベンジを果たして3連覇達成。 *1993年 広島国際女子柔道選手権大会から階級を56kgに変更し、56kg世界チャンピオン、五輪2位のニコラ・フェアブラザーに内股で一本勝ち。これをきっかけに56kgに転向したといわれている。 *1994年 56kg級に転向するも国内では、立野千代里、菅原教子に敗戦し日本代表の座から遠のく。 *1995年 全日本選抜体重別選手権56kg級で大塚雅子に内股で一本勝ちし、幕張世界選手権日本代表となる。同年10月の幕張世界選手権では1回戦敗退。 *1996年 2月のパリ国際決勝で、当時の世界女王ドリウリス・ゴンザレスに勝ち4度目の大会制覇達成。アトランタ五輪最終選考会を兼ねた全日本選抜体重別選手権56kg級決勝で立野千代里に僅差判定勝ちし、2度目の五輪代表となる。同年8月のアトランタ五輪では、準々決勝で鄭善溶に惜敗。気持ちが切り替えられず敗者復活戦に挑み惨敗。引退を決意する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「溝口紀子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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