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溥傑 ( リダイレクト:愛新覚羅溥傑 ) : ウィキペディア日本語版 | 愛新覚羅溥傑[あいしんかくら ふけつ]
愛新覚羅溥傑(あいしんかくら ふけつ、アイシンギョロ・プギェ、 転写:Aisin-gioro pu-giye、1907年4月16日 - 1994年2月28日)は、清朝最後の皇帝で、のちに満洲国皇帝に即位した愛新覚羅溥儀の実弟。清朝における地位は醇親王継嗣、満洲国軍人としての階級は陸軍中校(中佐に相当)。中華人民共和国では全国人民代表大会常務委員会委員、全国人民代表大会民族委員会副主任。立命館大学名誉法学博士〔データで見る立命館 2-3 名誉博士(2014年5月1日現在) 、立命館大学〕。書家でもあり、流水の如き独特の書体は流麗で人気が高かった。 2013年(平成25年)9月、溥傑の次女である福永嫮生から関西学院大学博物館開設準備室に、愛新覚羅溥傑家関係資料(愛新覚羅溥傑・妻の浩・娘の慧生・嫮生の各氏に関係する貴重な写真、原稿、書、書簡、書籍や、溥傑並びに浩夫人の実家である嵯峨侯爵家(旧正親町三条家)に関係する資料などが寄贈されている〔博物館開設準備室が愛新覚羅溥傑家関係資料を受贈 、KG News(関西学院大学)、2013年9月24日〕。 == 生涯 ==
=== 生い立ち ===
醇親王載灃とグワルギャ氏(瓜爾佳氏)・幼蘭の次男として生まれた溥傑は、兄である第12代清朝皇帝(宣統帝)に仕え信頼を得ていた。また、醇親王家長男の溥儀が皇帝となったため、溥傑が醇親王家の継嗣となった。1929年(昭和4年)3月に婉容皇后の実弟・潤麒と共に来日し、日本語等の学習後、学習院高等科に留学。この間の1932年(大同元年)3月に満洲国が建国され、兄の溥儀が満洲国執政(のちに満洲国皇帝)となる。1933年(昭和8年)3月、学習院高等科卒業。同年9月、陸軍士官学校本科入学、1935年(昭和10年)7月に卒業して見習士官に任官。同年9月に満洲国陸軍に入隊する。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「愛新覚羅溥傑」の詳細全文を読む
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