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滋岳 川人(しげおか の かわひと、生年不詳 - 貞観16年5月27日(874年7月14日))は、平安時代前期の陰陽家。氏姓は刀岐直のち滋岳朝臣。子に川継・興継がいたとする系図がある〔鈴木真年『諸系譜』第12冊,滋岳朝臣(宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年 による)〕。官位は従五位上・陰陽頭。 == 概要 == 刀岐氏(刀岐直)の出自は明らかでないが、但馬国二方郡刀岐郷(現在の兵庫県美方郡新温泉町)に由来する一族と考えられる〔太田亮『姓氏家系大辞典』角川書店、1963年、3908頁〕。また直姓であることから、二方国造の一族とも考えられる〔宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年、1705頁〕。 斉衡元年(854年)に、一族の雄貞らと同時に滋岳朝臣の氏姓を賜与される(この時の官位は陰陽権允兼陰陽博士正六位上)。陰陽博士として陰陽道をもって朝廷に仕え、天安元年(857年)陰陽権助、のち陰陽頭にまで昇った。また、貞観3年(862年)播磨権大掾、貞観7年(865年)播磨権介、貞観16年(874年)安芸権介と地方官も歴任。この間、斉衡2年(855年)外従五位下、貞観元年(859年)従五位下に叙されている。 貞観16年(874年)に没。最終官位は従五位上陰陽頭兼陰陽博士安芸権介〔『日本三代実録』貞観16年5月27日条〕。 多くの著作を残したとされ、『世要動静経』『指掌宿曜経』『滋川新術遁甲書』『金匱新注』などの著書があったとされるが〔、いずれも散逸し秘伝とされている。また『今昔物語集』では、文徳天皇陵の設置地の選定が発端となり地神の追跡をうけるも、呪を唱えて逃れたとも記録されたことから、後世にわたり有名な陰陽師として知られたことが窺われる。 == 参考文献 == *村山修一『日本陰陽道史総説』塙書房、1981年4月 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「滋岳川人」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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