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滕胤 : ウィキペディア日本語版
滕胤[とう いん]
滕 胤(とう いん、?-257年)は、中国三国時代の武将・政治家。承嗣青州北海国劇県の人。父は滕冑。伯父は滕耽。妻は孫権の娘、後に孫奐の娘。娘は呉纂の妻。同族には滕牧滕皇后らがいる。『三国志』呉志に伝がある
陳寿裴松之注)の『正史三国志』の「呉志」滕胤伝は、物語として次の孫峻伝を経て孫綝伝に続く特殊な形式となっており、滕胤が殺害されたことは孫綝伝に記述されている。これについて『三国志』の日本語訳者小南一郎ちくま学芸文庫版、初版1993年)による解説で、『三國志』の「呉志」が、韋昭らが書いた『呉書』に基づいていることを挙げ、陳寿が『呉書』の形式に則ったからだという説と、『呉書』には記述されていない出来事であったため、この項のみ陳寿が独自に補ったためだ、という二つの説を挙げている。〕。
== 生涯 ==
家が代々劉繇の一族と通婚関係があったため、戦乱の時代に劉繇を頼って長江を渡り、揚州に避難してきたという。
孫権車騎将軍になると、滕耽を右司馬として迎え、滕耽が死ぬと後継がなかったため滕冑を採り立て、文書の整理や起草の仕事に就かせた。その父が死去したのは滕胤が12歳のときであったという(『呉書』)。
孫権は呉王になると、生前の父の功績を考慮して滕胤を採り立て、都亭侯に封じた。外観は色白で、若くして行状や立ち居振舞いが見事であったため、孫権や群臣達から好印象を持たれ、20歳のときに公主を妻とした。30歳以降に丹陽太守・呉郡太守・会稽太守を歴任し、いずれの任地でも評判が良かった。
251年、重態となった孫権を見舞うために建業を訪れたとき、太常に任命されそのまま中央に留まった。252年の孫権臨終の際、諸葛恪孫峻と共に後事を託されている。孫亮が即位すると衛将軍も加えられ、その輔佐に当たった。諸葛恪がの討伐を行なおうとすると、これに反対したが聞き入られず、留守役として都下督に任じられ、職務に励んだ。その後、予想通り諸葛恪率いる呉軍は大敗を喫した。
やがて、諸葛恪の専横に憤った孫亮や孫峻らが暗殺計画を企み、諸葛恪を斬殺し、その一族をことごとく滅ぼした〔諸葛恪伝の注に引く『呉歴』によれば、この時、諸葛恪に対して身辺に気をつけるように警告したが、諸葛恪はこれを聞き入れず、殺されてしまったという。しかし、諸葛恪伝本文には「滕胤は暗殺計画を知らずに、孫峻が諸葛恪を殺すために開催した酒宴に出るように諸葛恪に勧めた」と書かれている。諸葛恪伝の注に引く『異同評』によれば、歴史家の孫盛は『呉歴』の記述の方が優れていると推測している。〕。滕胤は諸葛竦(諸葛恪の子)の舅であったため辞職を願い出たが、孫峻に拒絶された(「孫峻伝」)。
孫峻との関係は良好ではなかったが、表面的にはお互いに相手のことを立てるようにしたため、政治に混乱は生じなかった。また、爵位も高密侯に進んだ〔『呉録』によると、群臣達は孫峻を太尉、滕胤を司徒にすることを望んだが、孫峻に諂う者がいたため、孫峻のみが丞相となったことに大きく落胆したとある。〕。
孫峻は幾度か北上して魏を討つことを計画した。しかし256年、滕胤や従者を引き連れ石頭の陣で諸将を見送る宴会を催した時、呂拠の陣で体調を崩し、そのまま急死した(「孫峻伝」)。
孫峻の死後、孫綝侍中・武衛将軍に任命され、権力を継承した。呂拠はこの人事に不満を持ち、諸将と連名で滕胤を丞相とするよう上奏した。一方の孫綝は、滕胤を大司馬として武昌に駐屯させ、中央から遠ざけようとした。呂拠は滕胤に手紙を送り、共に挙兵して孫綝を討とうと持ちかけた。この呂拠の動きを察知した孫綝は、呂拠を従兄の孫憲達に攻撃させる一方で、滕胤の元には侍中・左将軍である華融と中書丞の丁晏を送り、呂拠を捕縛することと、そのまま武昌に赴くことを伝えさせた。滕胤は自身にも危機が迫っていることを察知し、華融達を軟禁した。また、兵士を集め孫綝を討つことに決め、華融達を脅迫して孫綝批判の手紙を書かせた。孫綝は将軍の劉丞に命令させ、滕胤を攻撃した。滕胤は華融達が言うことを聞かないため殺害した(「孫綝伝」)。
滕胤は、このような事態に至っても動じる様子がなく、人と談笑するときはいつも通りであった。滕胤は呂拠の来援を信じ防御を続けていたが、結局呂拠軍が現れることはなく、孫綝の派遣した大軍の前に敗北し、捕らえられ一族皆殺しとされた。しかし彼の妻のみは、兄の孫壱に救い出され、魏に亡命したという。
小説『三国志演義』では、諸葛恪と仲が悪かった設定になっており、孫峻のクーデターにも積極的に関与している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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