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滝口 岩夫(たきぐち いわお、1921年〈大正10年〉9月15日 - 2000年6月)は、日本の美術家、デザイナー、イラストレーター。香川県高松市出身〔。第二次世界大戦中に日本軍の兵士としてニューブリテン島ラバウルで従事していた体験をもとに、後世に戦争の愚かさと平和を訴えるための戦争画の絵画展を開催し、日本各地で反響を呼んだ。 == 戦場での体験 == 第二次大戦中に徴兵され、1942年(昭和17年)、当時日本軍の拠点であったラバウルに出征。かつて画家志望であったことから宣伝班に転属され、日本兵の勝利のポスターやチラシを描いて敵軍を攪乱する「絵描き兵」に任命された。 1943年(昭和18年)5月、アメリカ軍海兵隊のウォルター・メベリー中尉(20歳代)が日本軍の捕虜となり、彼が宣伝班でアメリカのラジオの傍受(スパイ行為)を命じられるにあたり、滝口はその監視役に任命された〔。2人は共に生活するうちに、互いの誠実な性格により次第に親交を深めた。敵軍同士の壁を超えてメベリーと友情を育んだ滝口は、やがて戦争への怒り、反戦の心を抱き、メベリーと「戦争で生き残ったら平和のために尽くす」との約束を交わした〔。 翌1944年(昭和19年)2月〔、戦局の悪化にともない宣伝班は解散されて実戦に投入。メベリーは憲兵隊に引き渡され、滝口のもとを去ったが、その後にアメリカ軍の爆撃に遭って死亡した。初の戦場で兵士たちの無残な死体の山を目にした滝口は、無念のまま死んだメベリーとの約束のため、戦争の愚かさを人々に伝えようと、戦争画の制作を開始した。1年半近くにおよぶ戦闘と絵描きの二重生活の最中、戦争画には戦場の惨状や兵士たちの無念さなど、最前線の戦地で目にしたあらゆる出来事が描かれ、その数は数百枚に昇った。 1945年(昭和20年)8月、終戦。しかし滝口が描きためた戦争画は、機密保持のためにすべて焼却されてしまった〔〔。滝口自身もその後は収容所で重労働を強いられる身となり、戦争画を描くこともままならなかった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「滝口岩夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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