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滝川一時 : ミニ英和和英辞書
滝川一時[たきがわ かずとき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たき]
 【名詞】 1. waterfall 
滝川 : [たきがわ, たきかわ, たかがわ, たかわ, たかかわ]
 【名詞】 1. rapids 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [いち]
  1. (num) one 
一時 : [ひととき]
  1. (n-adv,n) moment 2. time 
: [とき]
  1. (n-adv,n) (1) time 2. hour 3. (2) occasion 4. moment 

滝川一時 : ウィキペディア日本語版
滝川一時[たきがわ かずとき]

滝川 一時(たきがわ かずとき、永禄11年(1568年) - 慶長8年6月2日1603年7月10日))は、戦国時代から江戸時代武将大名滝川一益の次男。兄に一忠、弟に辰政、知ト斎がいる。子に一乗。通称は八郎、久助。
== 生涯 ==
永禄11年(1568年)、滝川一益の次男として誕生。
幼少から織田信長に仕え、伊勢亀山を与えられる。天正10年(1582年)の本能寺の変の後、関東から逃げ帰ってきた父を迎え、羽柴秀吉と対立する。しかし天正11年(1583年)、味方の柴田勝家賤ヶ岳の戦いで秀吉に攻め滅ぼされたために、父と共に秀吉に降伏し、所領を没収された。天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いで秀吉側として従軍し、蟹江城合戦徳川家康織田信雄連合軍に敗れたが、戦後に1万2千石を与えられた。ただし、兄の一忠は敗戦の責任を取らされて追放されている。
天正20年(1592年)に家康から秀吉に対し一時の譲渡の申し入れがあり、徳川氏にも2千石で仕え、計1万4千石の所領を得る。慶長5年(1600年)に起きた関ヶ原の戦いでは家康本隊の一員として戦った。
同年から徳川秀忠に仕えたが、慶長8年(1603年)に35歳で死去した。秀忠は「勇者の子孫ことに扶助あるべきを、不幸にして世を早くせし」と惜しんだという(『寛政重修諸家譜』)。家督は嫡男の一乗が継いだが、幼少のために甥の一積(一忠の子)が名代を務めた。また、秀吉から与えられた1万2千石は没収されている。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「滝川一時」の詳細全文を読む




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