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滝沢 一(たきざわ おさむ〔 映画歳時記 、国立国会図書館、2010年1月15日閲覧。〕、1914年 - 1993年7月11日〔『キネマ旬報』 1113号、キネマ旬報社、1993年、p.163.〕)は、日本の映画評論家、ジャーナリスト、脚本家である。株式会社通信合同社代表。中川信夫との共同のペンネームは猿沢 丈介(さるさわ じょうすけ)。リアルタイムで作品を追い続けた、伊藤大輔、山中貞雄研究の第一人者である〔。 == 人物・来歴 == 1914年(大正3年)に生まれる。 1933年(昭和8年)、マキノ・プロダクションの元宣伝部長・都村健らとともに、京都に合同通信社を興す〔『興行通信』、第60巻、2000年、p.23.〕。同社がのちに株式会社通信合同社となる〔。 1935年(昭和10年)、前年に市川右太衛門プロダクションに入社した、9歳上の友人・中川信夫と共同で脚本を執筆、『恥を知る者』『御用唄鼠小僧』を中川が監督した。 1970年(昭和45年)前後に東映京都撮影所の大部屋俳優たちが結成した「ピラニア軍団」に同社の映画監督深作欣二、中島貞夫らとともに加担、相談役を務めた。1971年(昭和46年)、都村健が企画、御園京平が編集した牧野省三とその映画を回顧する書物『回想・マキノ映画』に『牧野省三評伝その人と業蹟』を寄稿する〔 回想・マキノ映画 、国立国会図書館、2010年1月15日閲覧。〕。1973年(昭和48年)には、山中貞雄の監督デビュー作『磯の源太 抱寝の長脇差』をモチーフに、マキノ雅弘と共同でテレビ映画『長谷川伸シリーズ』の第23話『抱き寝の長脇差』の脚本を執筆した。 キネマ旬報社が刊行した1976年(昭和51年)の『日本映画監督全集』、1979年(昭和54年)の『日本映画俳優全集・男優編』、1980年(昭和55年)の1980年『日本映画俳優全集・女優編』の執筆に参加、大きな資料を残す。1982年(昭和57年)、都村が死去、滝沢が通信合同社代表となる。同年、友人の中川信夫の復帰作にして遺作『怪異談 生きてゐる小平次』の製作に「企画」として参加する〔怪異談 生きてゐる小平次 、日本映画データベース、2010年1月15日閲覧。〕。中川は1984年(昭和59年)に没し、1987年(昭和62年)、山根貞男と共著で亡くなった友人についての著書『映画監督 中川信夫』を上梓する。またこのころ、竹中労らとともに山中貞雄の命日の集い「山中忌」を差配した。 1993年(平成5年)7月11日、京都市内の病院で脳梗塞のため死去した〔。満78歳没〔。最後に執筆した遺稿は、同年の『キネマ旬報』1112号(1993年8月下旬上半期決算号)に掲載された『私の伊藤大輔』である〔1993年8月下旬上半期決算号 、キネマ旬報、2010年1月15日閲覧。〕。没後の同年、第35回牧野省三賞特別賞を受賞した〔牧野省三賞 、東映京都ナビ、2010年1月15日閲覧。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「滝沢一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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