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滝沢卓 : ミニ英和和英辞書
滝沢卓[たきざわ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たき]
 【名詞】 1. waterfall 
: [さわ]
 【名詞】 1. (1) swamp 2. marsh 3. (2) mountain stream 4. valley 5. dale 
: [たく]
 【名詞】 1. table 2. desk 3. high 

滝沢卓 ( リダイレクト:滝澤卓 ) : ウィキペディア日本語版
滝澤卓[たきざわ すぐる]

滝澤 卓(たきざわ すぐる、男性、1987年2月20日 - )は、日本の元プロボクサー愛知県名古屋市生まれ、チャンピオンにはなれなかったが、日本ライトフライ級1位、OPBF東洋太平洋同級1位を経験した。安城農林高校卒業。タキザワボクシングジム所属。
== 来歴 ==
父親である滝澤一タキザワジム会長のもとで小学3年生からボクシングを始める。高校3年時にインターハイ3位となった。
2004年11月28日刈谷市産業振興センターでプロデビュー戦に4R判定勝ちを収め、以後9連勝となった。
2006年12月3日 プロ10戦目で久田恭裕と対戦し、10R判定負けで初黒星を喫した。
2007年4月1日名古屋国際会議場での再起戦となった木戸俊彦戦に6R判定勝ち。
2007年7月1日タイミニマム級6位ジャムパートン・ポンソンクラームに2RKO勝ちし、日本同級12位にランクイン。
2007年12月2日OPBF東洋太平洋ミニマム級9位のチャンサクノイ・サクルンルアンに2RKO勝ちでOPBF東洋太平洋ライトフライ級14位にランクイン。
2008年8月、日本ミニマム級7位からライトフライ級に転級表明。
2009年3月29日、自身初の後楽園ホールで松信俊一(大橋)に3RTKO勝ちを収め、4試合連続KO勝利となった。
2009年7月2日日本タイトル挑戦権獲得トーナメントライトフライ級準決勝で日本同級6位として1位の山中力(帝拳)と対戦する予定だったが、山中の棄権により決勝進出となった。10月11日に行われた決勝戦では4位として3位の須田拓弥(沼田)と対戦し、2-0(77-75、77-75、76-76)の判定勝利で日本同級王座への挑戦権を獲得した。
2010年2月21日松下IMPホール宮崎亮の持つ日本ライトフライ級王座に同1位として挑戦。初回からダウン応酬の展開となり、3Rに偶然のバッティングで左目上をカット、この出血により4R0分55秒負傷引き分けに終わり、王座獲得はならなかった〔ダウン応酬も……宮崎-滝澤負傷ドロー 日本Lフライ級戦 ボクシングニュース「Box-on!」 2010年2月21日閲覧〕。同年6月18日、49.5kg契約8回戦で日本ライトフライ級1位として同6位の黒田雅之(川崎新田)と対戦し、0-3の判定負けを喫した。
2010年10月20日、右目の網膜剥離が発覚し、試合がキャンセルされ引退を表明〔☆すぐる☆のボクシング ☆★☆日記★☆★ 現役引退 〕。11月28日、正式に引退〔☆すぐる☆のボクシング ☆★☆日記★☆★ 正式に引退。6年間ありがとうございました。 〕。 引退後は、タキザワジムでトレーナーとして勤めている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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