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漢口事件(かんこうじけん/はんこうじけん)とは、1927年(昭和2年)4月3日、国民革命軍の武漢攻略の際、一部の無秩序な軍隊と暴民が漢口の日本租界に侵入し、掠奪、破壊を行い、日本領事館員や居留民に暴行危害を加えた事件。漢口四三事件とも言う。日本海軍の軍人も傷害や暴行を加えられた。被害は150戸、被害見積額は92万円〔服部龍二編『満州事件と重光駐華公使報告書』〕。共産党の扇動により発生した〔「漢口事件解決に関する文書」『日本外交年表並主要文書 下』〕。日本海軍の水兵と中国の少年との口論を端緒に次第に拡大していったとされる。 == 事件前の状況 == === 中国の排外運動と労働運動 === 1915年(大正4年)、1919年(大正8年)、1923年(大正12)の排日運動は猛烈であったという。1923年には宜陽丸事件が起きて、船長を射殺し、船客も殺害された〔大阪毎日新聞 1923.9.22(大正12)「乱入した支那兵の一隊は忽ち宜陽丸船長を射殺した 」〕。 1924年(大正13)12月には、租界ボーイ領事館襲撃事件が起きた。 1925年(大正14)6月1日にはイギリス租界暴動が起きて、日本人商店がすべて掠奪破壊され、日本人1人が殴殺された。 1926年(大正15年)9月、商店三宜洋行が襲撃され、店舗、倉庫が中国人暴徒に破壊され、商品はもちろん、畳、建具、床板、窓枠までも剥がして持ち去った。 1926年(大正15年)9月、国民革命軍が武漢を占領するころから、盛んに労働者を扇動し、人足や車夫、店員、工場員などに労働者団体を組織的に作らせ、二ヶ月ほどで200以上の団体、会員20万人を唱えた。この労働団体の統制する組織が「総工会」で、共産党員が牛耳っていた。総工会は糾察隊という6尺棒を持つ私兵を組織し、3000人を超えていた。外国人を相手にするボーイなどの組織は「洋務工会」と呼ばれた。 1926年11月、漢口では中国人ボーイや女中、また乳母のストライキと暴動事件が起きた。糾察隊は6尺棒を持って租界を巡回し、三井物産の社員宅にその妻が一人でいたところ侵入し、押入れなどを勝手に開けるなど乱暴をした。 1926年11月20日には、商店の川本洋行が中国人米屋から米俵4俵を届けてもらうと、糾察隊が「日本人には米を買わせない」と妨害し、2-30名が店内に押し入り、ショーウインドウや戸口のガラスが破壊され、商品を強奪し、店の主人は群衆にリンチを受けた川本洋行事件が起きた。 1927年2月ごろから、日本租界外の同文書院付近の支那公園や富豪の屋敷の立ち樹や垣根などを引き抜いて持ち去るものがあった。やがて日本人住宅にも及んだ。多くは付近の農民の女子供であったが、後には大人も出動し、大っぴらに斧で立ち樹を切り倒した。農民協会で、外国人の境内であろうが、富豪の邸宅であろうが、立ち樹は中国人に授かったものだから当然奪取してよいと教えられたためという。 1927年3月24日に南京事件が発生すると、中国人側は邦人凌辱事件を誇大に取沙汰し、無頼の徒は、漢口がそうなったら一番に若い女を狙うのだと放言していたとされる〔田中秀雄編『もうひとつの南京事件』〕。 事件発生数日前に唐生智は日本官憲に対し、イギリス人・アメリカ人の居留民は引揚げを断行したが日本人居留民に対しては十分に保護を行うので漢口に止まるよう勧告を行った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「漢口事件」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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