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漢江鉄橋(ハンガンてっきょう)は、大韓民国ソウル特別市の漢江に架かる全長1,110mの鉄道橋で、北岸の龍山区二村洞と南岸の銅雀区鷺梁津を結ぶ。 漢江に架けられた最初の近代橋梁で、現在はA線・B線・C線・D線の4本の橋梁で構成されている(A線・B線はそれぞれ単線、C線・D線はそれぞれ複線)。鉄道路線の上では京釜線の龍山駅と鷺梁津駅の間に位置する。 == 概説 == 1896年に京仁鉄道(現:京仁線)の敷設権を得たジェームズ・R・モースによって、1897年3月に建設が着手され、1900年7月5日に竣工した(A線)。これにより、鷺梁津駅を起点としていた京仁鉄道は、漢江北岸の京城駅(現在のソウル駅の北に位置した駅〔この京城駅は、同時に「南大門駅」として開業した現在のソウル駅の北、敦義門(西大門)外にあった。西大門駅と改称されたのち1919年廃駅〕)まで延伸された。 1905年に京釜線が敷設されると輸送量が増大し、これに対応すべく上流側に漢江第二鉄橋(B線)が建設された(1911年11月着工、1912年9月竣工)。A線の下流に位置するC線は、1944年に完成したものである。 1950年6月、朝鮮戦争が勃発すると、北朝鮮軍の南下を阻止するためとして、この3線は漢江人道橋(漢江大橋)とともに爆破された。しかし、実際は装薬の不発のために完全には爆破できず、北朝鮮軍の戦車が橋を渡ることとなった(漢江人道橋爆破事件も参照)。その後、A線の仮復旧工事が行われ、単線で運行が再開されたが、戦後になって列車本数が増加したため、1957年7月にC線を復旧し複線での運行を再開。その後さらに本数が増えたため、A・B両線の復旧が進められた。この際、日韓基本条約で獲得した資金も投下され、1969年6月28日に完全復旧をとげた。 D線は、京釜線の三複線化に伴い、A線とC線の間に新たに建設され、1994年12月に竣工した。 現在、A線は京仁線急行・京釜線A急行、B線は京仁線・京釜線急行や京元線の臨時列車、C線は京釜線・湖南線・全羅線・長項線方面のKTX・セマウル号・ムグンファ号・ヌリロ号と京釜線B急行、D線は首都圏電鉄1号線緩行列車に使われている。また、貨物列車はD線以外の橋を使用する。 A線・B線・C線の橋梁は、大韓民国指定登録文化財第250号に指定されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「漢江鉄橋」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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