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『漱石の「不愉快」 ―英文学研究と文明開化』(そうせきのふゆかい えいぶんがくけんきゅうとぶんめいかいか)は、英文学者、小林章夫の著書である。夏目漱石の英文学者としての著作、『文学論』と『文学評論』を論じ、漱石の留学についてや、英文学の教師としての漱石について論じられる。1998年にPHP新書として発刊された。 ==概要== イギリス留学を終えた漱石は、1903年9月から1905年6月まで『文学論』のもとになる講義「英文学概説」を帝国大学英文科で行い、『文学論』は1907年に出版された。1905年9月から1907年3月まで、講義「18世紀英文学」が行われ、その内容をまとめた『文学評論』は1909年に出版された。『文学論』は「文学とは何か」を、できるだけ科学的、客観的にとらえようとした漱石の試みであり、『文学評論』は18世紀イギリス文学の5人の作家、詩人の文学を具体的に論じたものである〔『文学評論』ではジョセフ・アディソンとを論じることで安定した18世紀イギリス社会の風俗を描く文学を示し、ジョナサン・スウィフトの厭世文学、アレキサンダー・ポープの人工派の詩が論じられ、ダニエル・デフォーの小説の組立てについて悪口を含めて論じられている。〕。漱石が『文学論』に思いいれを示し、『文学評論』にそれはなかったにもかかわらず、著者は英文学者として、『文学論』は空しい印象を与える失敗作であると感じ、『文学評論』は優れた文学評論であると評価している。 漱石が『文学論』を講義するにいたった、イギリス留学の経緯とロンドン生活、漱石の留学時代の世界の日本の状況が紹介される。「英語研究」、「英文学研究」という茫漠としたテーマで日本の近代化の期待をもって送り出された漱石の苦悩が、衛生学という具体的な分野の留学生であった森鴎外の留学経験と比較して論じられる。また英語教育法の研究という目的で漱石と同じ年に留学した神田乃武も紹介される。 著者は漱石がなぜ『文学評論』で、18世紀英文学をとりあげたのかを考察し、漱石の前任の英文学教師であったラフカディオ・ハーンを漱石が意識し、ハーンの情緒的な鑑賞法で行われた講義と違う方向を目指して、「知的」「散文的」「反情緒的」な特質をもつ18世紀英文学を論じることで、言語の壁を越えて、日本人がイギリス文学を鑑賞することができると考えたと論考する。 さらに18世紀のイギリスは日本の目指した「開明」の世であったが、漱石の留学した世紀末にはその「行き止まり」が見えはじめていた。漱石が英文学の教師を辞職し、小説家として「開化の宿命」を語ることになる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「漱石の「不愉快」」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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