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潙山霊祐(いざん れいゆう、771年(大暦6年) - 853年1月9日(大中7年))は、中国唐代の禅僧。 俗姓は趙氏、福州長渓(福建省)の出身。 == 生涯 == *771年、福州長渓(福建省)に誕生した。 *785年、15歳で出家、福州建善寺の法常律師のもとで剃髪し、杭州龍興寺で受戒した。経律を学ぶ。 *793年、23歳で江西に赴いて百丈懐海に学び、その法嗣となる。 *820年頃、潙山(湖南省)に住して、多数の門弟を訓育した。住寺は同慶寺の号を賜った。弟子の中に仰山慧寂があり、彼らの門流を、後世「潙仰宗」と称した。 *853年正月9日、没す。春秋83、法臘64(『宋高僧伝』では59)。諡して大円禅師といい、塔は清浄塔という。 法語としては、『潙山警策』がある。 百丈禅師が潙山開山を弟子の華林覚と霊祐のどちらかにさせようとした時に、浄瓶を指して「この浄瓶を浄瓶と呼んではならんとすれば、なんと呼ぶか」と問うたところ、華林覚は「木切れとはいえません」と返したが、霊祐は浄瓶を蹴り飛ばして出て行ってしまった。霊祐の答えに満足した百丈禅師は霊祐を潙山の住持とした。この故事を画題にした禅画に「潙山踢瓶図」などがある〔影山純夫『禅画を読む』淡交社 2011年、ISBN 9784473037268 pp.70-73〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イ山霊祐」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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