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澤屋敷純一 : ミニ英和和英辞書
澤屋敷純一[さわやしき じゅんいち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

屋敷 : [やしき]
 【名詞】 1. mansion 
: [じゅん]
  1. (adj-na,n) pure 2. innocent 3. chaste 
純一 : [じゅんいつ]
  1. (adj-na,n) purity 2. homogeneity 3. unadorned
: [いち]
  1. (num) one 

澤屋敷純一 : ウィキペディア日本語版
澤屋敷純一[さわやしき じゅんいち]

澤屋敷 純一(さわやしき じゅんいち、男性、1984年9月13日 - )は、日本キックボクサー秋田県東京都)出身。血液型O型。チームドラゴン所属。東京都立忠生高等学校卒業。
バックボーンは、柔道キックボクシング。得意技は左パンチ。柔道は高校から始めた。
K-1参戦後は新人にもかかわらず一躍有力選手へと成長したと報道されることがあるが、K-1参戦以前から試合を行っており、キックボクシング歴は決して短くない。
== 来歴 ==
高校3年の終わりにピーター・アーツに憧れ、前田憲作主宰のチームドラゴンに入門してキックボクシングを始める。
2004年2月11日R.I.S.E.でプロデビュー。岡本レイと対戦し、右ローキックでKO勝ち。
2005年5月3日、第16回全日本新空手道選手権大会、K-2グランプリ重量級に出場。決勝で新村優貴(現、悠羽輝)に敗れ、準優勝。
2006年5月17日J-NETWORK「GO! GO! J-NET '06 〜Invading the DRAGON〜」で王者馬場伸孝とJ-NETWORKヘビー級タイトルマッチで対戦。3Rに額のカットによるドクターストップでTKO勝ち。J-NETWORKヘビー級王者となった。試合後、リング上で「いい所で負けてばっかりだったですけど、チャンピオンになれて良かったです。これから物凄い頑張るんで、応援をお願いします」とコメントした。
2006年7月30日、R.I.S.E. XXVIIIで百瀬竜徳と対戦。2Rに右アッパーでダウンを奪うと百瀬のセコンドからタオルが投入され、TKO勝ちとなった。
2006年12月2日K-1初参戦となるK-1 WORLD GP 2006 in TOKYO 決勝戦のオープニングファイトで野田貢と対戦、判定勝ち。
2007年3月4日、K-1 WORLD GP 2007 IN YOKOHAMAで大抜擢されジェロム・レ・バンナと対戦。カウンターでバンナから2度のダウンを奪い大差の判定勝ちを収めた。K-1ルールでバンナに勝利した日本人選手は澤屋敷が初めてであった。試合後、「嬉しいです。作戦通りです。2、3Rにバンナ選手が焦れてくるのはわかっていました。勝ったけど、ぬか喜びせず練習して、K-1の選手と肩を並べたいです」と話した。また、谷川貞治イベントプロデューサーは「勝負度胸、テクニックはもちろん、強運も感じる。チャンスを与え、大切に育てたい」と話した。
2007年4月28日、K-1 WORLD GP 2007 in HAWAIIでは、ランディ・キムと対戦。2Rスタンディング・ダウンを奪い、そのままKO勝利。
2007年6月3日、J-NETWORK「TEAM DRAGON QUEST 1」で尾崎圭司とエキシビションマッチを行った。アフロのカツラ、ワイシャツ、ネクタイ、サスペンダーというコミカルな姿でのエキシビションマッチとなった。6月18日にK-1参戦に集中するためJ-NETWORKヘビー級王座を返上した。
2007年6月23日、K-1 WORLD GP 2007 IN AMSTERDAMでは、ニコラ・ヴェルモンと対戦。2R左フックでKO勝利。
右手首の負傷によりASIA GP、世界最終予選への出場は見送られたため、WORLD GP 2007への道は閉ざされたに見えたが、武蔵を抑え、主催者推薦枠での参戦が決定した。
2007年9月29日、K-1 WORLD GP 2007 IN SEOUL FINAL16のGP1回戦で藤本祐介と対戦。1Rに藤本の左フックにより鼻からの出血が止まらなくなるが、2Rに膝蹴りと左フックでダウンを奪うと、3Rにはスタミナの切れた藤本から3ダウンを奪いKO勝利。
2007年12月8日、K-1 WORLD GP 2007 FINALの準々決勝でピーター・アーツと対戦。1Rに右ハイキック、右ストレートで2度のダウンを喫し、KO負け。
2008年4月13日K-1 WORLD GP 2008 IN YOKOHAMA武蔵と対戦。世代交代マッチと謳われた一戦だったが、2Rに3度のダウンを喫し、KO負け。
2008年7月13日K-1 WORLD GP 2008 IN TAIPEIのスーパーファイトでカタリン・モロサヌと対戦し、1RKO負け。
2008年9月27日K-1 WORLD GP 2008 IN SEOUL FINAL16ジェロム・レ・バンナと対戦。2Rにダウンを奪われ判定負け。
2009年3月28日K-1 WORLD GP 2009 IN YOKOHAMAにてグラウベ・フェイトーザと対戦。計3度のダウンを奪われ最後はタオル投入によるTKO負けとなった。ちなみにこの試合前に、1年以上前から腰痛に悩まされ一時はトレーニングもままならない状態であったことが明らかにされたこともあり〔腰痛に悩む澤屋敷、勝って再浮上だ! - スポーツナビ・2009年3月25日〕、試合後には現役引退も示唆した〔緊急参戦のシュルトは完勝 澤屋敷が引退示唆=K-1 - スポーツナビ・2009年3月29日〕。
2009年6月公開の役所広司初監督映画『ガマの油』で俳優デビュー、格闘技を引退した。その後はパーソナルトレーナーとしても働く。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「澤屋敷純一」の詳細全文を読む




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