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沢村 貞子(さわむら さだこ、旧字体:澤村、1908年11月11日 - 1996年8月16日)は、日本の女優、随筆家。本名は大橋 貞子(おおはし ていこ)。 生涯に350本以上の映画に出演し、幅広い役柄と個性的な演技で名脇役女優として活躍した。日本女子大学在学中に新築地劇団へ入り、左翼演劇運動に加わって2度逮捕される。その後日活に入社して映画女優となり、東宝を経て戦後はフリーとなる。エッセイストとしても知られ、半生記『貝のうた』『私の浅草』などを発表している。兄は澤村國太郎、姉は矢島せい子、弟は加東大介、甥は長門裕之・津川雅彦である。夫は大橋恭彦で、戦時中に藤原釜足との結婚歴がある。 == 来歴 == ===生い立ち=== 1908年(明治41年)11月11日、東京府東京市浅草区猿若町(現在の東京都台東区)に、父・加東伝九郎と母・マツの2男2女の二女として生まれる〔キネマ旬報1980、p.342〕。父の伝九郎は竹芝傳蔵の名で活躍した狂言作者で、兄の友一は四代目澤村國太郎、弟の徳之助は加東大介の芸名で、ともに映画俳優となった。数え年で6歳の時から長唄と踊りを習い始める〔。 1915年(大正4年)、浅草尋常小学校に入学。この頃に弟の徳之助(加東大介)が7代目澤村宗十郎に入門して初舞台を踏んでおり、貞子は小学2年生の頃から弟の付き人ととして宮戸座へ通う〔。1921年(大正10年)4月に府立第一高等女学校(現在の東京都立白鴎高等学校)に入学。1923年(大正12年)9月1日の関東大震災後は、学費を得るために初代澤村宗之助の4人の子供(文恵、恵之助、雄之助、敞之助)の家庭教師を務める〔キネマ旬報1980、p.343〕〔沢村1999、p.65〕。1926年(大正15年)、女学校の教師を志望して日本女子大学師範家政学部へ入るが、教師間の裏の世界を見て失望し、役者を志すようになる〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「沢村貞子」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Sadako Sawamura 」があります。 スポンサード リンク
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