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澤田 敬之助(さわだ けいのすけ、1904年8月20日 - 没年不詳)は、日本の俳優である〔キネマ旬報社, p.256.〕〔映画世界社, p.135.〕〔''沢田敬之助''、''jlogos.com'', エア、2013年6月4日閲覧。〕〔''沢田敬之助''、''沢田慶之助''、''沢村敬之助''(表題誤記)、日本映画データベース、2013年6月4日閲覧。〕〔''澤田敬之助''、''沢田敬之助''、''小沢茗一郎''、''沢田敬之介''、''沢田慶之助''、日本映画情報システム、文化庁、2013年6月4日閲覧。〕〔''沢田敬之助''、allcinema, 2013年6月4日閲覧。〕〔''澤田敬之助''、''沢田敬之助''、''小沢茗一郎''、''澤田慶之助''、東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年6月4日閲覧。〕。新漢字表記沢田 敬之助〔〔〔〔〔〔。本名内山 守(うちやま まもる)〔〔〔。初期芸名小澤 茗一郎(おざわ みょういちろう、新漢字表記小沢 茗一郎)〔〔〔〔〔〔、澤田 敬之介(沢田 敬之介)、澤田 慶之助(沢田 慶之助)といった表記に揺れがある〔〔〔〔。日本映画データベースにおける「沢村敬之助」は誤りである〔〔。 == 人物・来歴 == 1904年(明治37年)8月20日、鹿児島県鹿児島市に生まれる〔〔〔。 旧制・鹿児島商業学校(現在の鹿児島市立鹿児島商業高等学校)を卒業後、東京に移り、満19歳となる1923年(大正12年)8月、山田隆也、岡田嘉子らによる新劇の劇団である舞台協会に参加、舞台俳優としてデビューする〔〔〔。同年9月1日に起きた関東大震災の後、舞台協会は関西に移り、澤田は、1926年(大正15年)10月、衣笠貞之助が京都の松竹下加茂撮影所を根城に製作を開始した衣笠映画聯盟に参加、「小澤 茗一郎」の名で映画出演を開始する〔〔〔〔〔。記録に残るもっとも古い作品は、同年12月11日に公開された『照る日くもる日 第二篇』(監督衣笠貞之助)であり〔〔、翌1927年(昭和2年)3月19日に公開された林長二郎(のちの長谷川一夫)が主演した『稚児の剣法』にも出演したとされる〔〔。1928年(昭和3年)1月20日に公開された『道中双六船』(監督衣笠貞之助)では、初主演を務めた〔〔〔。 同年4月、牧野省三が主宰するマキノ・プロダクションに移籍、同時期に入社した俳優には五月信子、南光明らがいた〔〔〔〔。芸名を「澤田 敬之助」と改め、同年7月13日に公開した『鬼神 前篇』(監督押本七之助)に出演したのが、同社での初出演であった〔〔〔〔。同年10月22日に公開された『孝女よし江』(監督中島宝三)ではマキノ智子を相手に主演〔、1929年(昭和4年)6月7日公開の『松平長七郎 道中篇』(監督金森萬象)では大林梅子、同年8月15日公開の『松平長七郎 長崎篇』(監督金森萬象)では松浦築枝を相手に主演を務め、ほかにも多くの映画に主演した〔〔〔〔。同年7月25日、牧野省三が亡くなり、同年9月にマキノ正博を核とした新体制が発表になると、澤田は、嵐冠三郎、荒木忍、南光明、根岸東一郎、谷崎十郎、阪東三右衛門、市川米十郎、東郷久義、市川幡谷、實川芦雁、桂武男、市川新蔵、津村博らとともに「俳優部男優」に名を連ねた〔1929年 マキノ・プロダクション御室撮影所所員録 、立命館大学、2013年6月4日閲覧。〕。この後に四代目澤村國太郎が入社し、その後の澤田は國太郎の脇に回ることが増え、新体制下のマキノ・プロダクションは財政が悪化していき、1930年(昭和5年)末、澤田は同社を退社した〔〔〔〔。記録に残る同社での最後の作品は、同年12月19日に公開された『続お洒落狂女』(監督吉野二郎)であった〔〔。 マキノ退社後は小規模プロダクションを転々とし、1932年(昭和7年)には、トキワ映画や金森萬象の協立映画プロダクションの作品に出演している〔〔〔〔。1933年(昭和8年)には東京に移り、同年5月、河合映画製作社に入社、翌6月、同社を発展的に拡大、解消して創立された大都映画に継続的に入社した〔〔〔〔。1937年(昭和12年)には大阪に移り、大阪府南河内郡古市町白鳥園(現在の同府羽曳野市翠鳥園)に撮影所をもつ極東キネマに移籍、1938年(昭和13年)ころまで、同社の製作するサイレントの剣戟映画に脇役出演をした〔〔〔〔。以降の消息は伝えられておらず、時代は第二次世界大戦に突入している〔〔。没年不詳。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「澤田敬之助」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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