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濱野 彰親(はまの あきちか、1926年(大正15年)5月8日 - )は、日本の挿絵画家。本名政雄(まさお)。1968(昭和43年)年、彰親(あきちか)に改名。現在、日本出版美術家連盟会長(1回目2001年(平成13年)〜2006(平成18年)、2回目2008(平成20年)〜)。 その作風は、「鋭い感受性と深い観察眼から生れたモノクロームの世界は、そこに生きる人間の本性を暴き出し、小説の世界観を鮮やかに印象付けている」とされる〔松本品子編『濱野彰親挿絵原画集 モノクロームへの眼差し』ラピュータ、2012年12月〕。 == 略歴 == *1926年(大正15年) 5月8日東京都足立区千住に、父・亀太郎と母・なみの長男・政雄(まさお)として生まれる。祖父・三蔵は千住で大きく紙問屋を営み、父は職人数人を使い掛け軸を製作していた。 *1931年(昭和6年) 父逝去。 *1942年(昭和17年) 青山学院高等科を卒業。鉄道省へ入省。 *1943年(昭和18年) 日本美術学校油絵科(夜学部)に入学。 *1945年(昭和20年) 日本美術学校油絵科卒業。4月赤坂歩兵第三連隊に入隊、8月終戦。 *1946年(昭和21年) 推理小説雑誌『トップ』にて挿絵画家デビュー。以後、新聞小説や大衆文芸雑誌の挿絵を手がける。 *1950年(昭和25年) 日本出版美術家連盟(1948(昭和23年)創設)に最年少(24歳)で参加。 *1954年(昭和29年) 若手挿絵画家たちと「挿美会」を結成し、翌年には『さしゑ』を創刊するなど挿絵の発展に尽力。 *1961年(昭和36年) 濱野政雄画集『B5の絵』を刊行。 *1964年(昭和39年) シェル美術賞展佳作賞受賞。 *1968年(昭和43年)「彰親(あきちか)」に改名。松本清張、山崎豊子、火野葦平、川上宗薫、菊村到、近藤啓太郎、黒岩重吾、三好徹、森村誠一、深田祐介、山村美紗、ねじめ正一、逢坂剛、津本陽、和久峻三、田辺聖子など、数多くの著名小説家の作品の挿絵を手がけるようになり、週刊誌や新聞などに多数連載。 *1974年(昭和49年) 第二回『噂』さし絵賞、日本作家クラブ絵画賞受賞。 *1975年(昭和50年) 第六回講談社出版文化賞(さしえ賞)受賞。 *2001年(平成13年)〜2006(平成18年)、2008(平成20年)〜、出版美術家連盟会長に就任。 *2012年(平成24年) 画集『濱野彰親挿絵原画集 モノクロームへの眼差し』刊行。 *2013年(平成25年) 弥生美術館にて濱野彰親展「モノクロームへの眼差し -人間の本性を暴く-」開催。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「濱野彰親」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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