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瀧原宮(たきはらのみや)は、三重県度会郡大紀町滝原にある神社であり、内宮(皇大神宮)の別宮である。「滝原宮」と表記されることがある。 == 概要 == 瀧原宮は伊勢神宮のある伊勢市の西部を流れる宮川の河口から約40km上流の、宮川支流大内山川が流れる度会郡大紀町(旧大宮町)滝原にある。宮域には瀧原宮(たきはらのみや)と瀧原竝宮(たきはらならびのみや)の2つの別宮のほか、瀧原宮所管社が3社がある。所管社の若宮(わかみや)神社には神体を入れる御船代を納める御船倉(みふなぐら)が併設されているが、御船倉を持つ別宮は瀧原宮のみである。 瀧原宮の宮域は約44haと広大である。山を背後に南面し、前方には川が東から西へ流れる地勢から内宮の雛型になったとする説がある。 第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)にアメリカ軍のB-29から数発の焼夷弾を投下され、宮域で最大であった推定樹齢300年の太郎杉が被災し枯れてしまったため、1954年(昭和29年)に伐採された。太郎杉は中央部が腐って空洞になっていたが、樹齢293年と推定され、地上約3mの部分を輪切りにした標本が神宮徴古館農業館に展示されることになった。2006年9月現在は、江戸時代以降神宮式年遷宮に用いられている木曽のヒノキ(樹齢約400年)と、神宮の森林で伐採されたヒノキ(樹齢約80年、22世紀から遷宮に使用する予定)の輪切り標本とともに、神宮徴古館で展示されている。太郎杉は太さから想像されたよりも樹齢が若かったことから、滝原は杉の生育に適していると考えられた。同様に被災した次郎杉は大紀町郷土資料館 (旧大宮町郷土資料館 )に展示されることになった。 1959年(昭和34年)の伊勢湾台風で外宮内宮の本宮は多くの神宮杉(宮域の杉巨木)を失ったが、瀧原宮では被害が小さかったため、本宮より杉の巨木が目立つようになった。 古殿地・新御敷地と呼ばれる式年遷宮のための空き地が所管社の脇にあり、伊勢神宮に準じて20年ごとに本殿が新築移動される。室町時代には北畠家の所領とされ、太閤検地により400石余の神領とされるまで式年遷宮は中断した。江戸時代までは神田などの収入で経費を賄っていたが、明治以降は伊勢神宮と同様に官費からの支給となり、昭和20年の第二次世界大戦敗戦後は宗教法人神宮による運営となった。 現在では、式年遷宮のためのお木曳行事が伊勢神宮に準じ20年に一度行なわれるが、1年次のみである。第62回神宮式年遷宮の瀧原宮御木曳は2006年(平成18年)4月16日(日曜日)に行なわれた。 倭姫命の伝説において瀧原の手前で倭姫命を出迎えたとされる真奈胡神(まなごのかみ)を祀る多岐原神社(たきはらじんじゃ)が下流約6kmにあるが、内宮摂社となっている〔伊勢文化舎 編『お伊勢さん125社めぐり』別冊『伊勢人』、伊勢文化舎、平成20年12月23日、151p. ISBN 978-4-900759-37-4 (84ページ)〕。 ほかの境外別宮と同様に、神職が参拝時間内に常駐する宿衛屋(しゅくえいや)があり、お札・お守りの授与や、神楽や御饌の取次ぎを行なっている。 Image:Takihara-no-miya_08.JPG|御手洗場 Image:Takihara-no-miya 15.JPG|右が若宮神社。左は御船倉(みふなぐら)。 Image:Takihara-no-miya_05.JPG|瀧原宮の参道 Image:Takihara-no-miya 13.JPG|瀧原宮社殿 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「瀧原宮」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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