翻訳と辞書
Words near each other
・ 瀧澤雅樹
・ 瀧澤靜子
・ 瀧澤馬琴
・ 瀧澤高等学校
・ 瀧澤龍太
・ 瀧田ひろし
・ 瀧田イサム
・ 瀧田二朗
・ 瀧田佐登子
・ 瀧田佳子
瀧田樗陰
・ 瀧田項一
・ 瀧神社
・ 瀧精一
・ 瀧羽麻子
・ 瀧脇信廣
・ 瀧花久子
・ 瀧英男
・ 瀧見山延雄
・ 瀧谷


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

瀧田樗陰 : ミニ英和和英辞書
瀧田樗陰[たき]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たき]
 (oK) (n) waterfall
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [かげ]
 【名詞】 1. shade, shadow 2. other side 3. negative

瀧田樗陰 ( リダイレクト:滝田樗陰 ) : ウィキペディア日本語版
滝田樗陰[たきたちょいん]
滝田 樗陰(たきたちょいん 1882年(明治15年)6月28日- 1925年(大正14年)10月27日)は日本の雑誌編集者。本名は滝田哲太郎。総合雑誌『中央公論』の編集長を務めた。
== 経歴 ==
秋田市生まれ。(旧制)第二高等学校を経て東京帝国大学英文科に進学、のち法科に転じる。在学中に『中央公論』の編集者になって中退。1912年(大正元年)、編集主幹となる。もともと中央公論は本願寺系の宗教雑誌だったが、社長の麻田駒之助から編集を全面的に任された滝田は、文芸欄や政治評論の充実を図った。黒塗りの人力車を乗り回し、自ら原稿の依頼に回ったエピソードは有名である。多くの新人作家を発掘し、文壇にデビューさせた。また吉野作造の「憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず」など民本主義論の多くを自ら口述筆記し、同誌に掲載した。これにより中央公論は大きく発展した。滝田の死後、同誌は改造社の『改造』などに押されて部数が低迷し、嶋中雄作が経営権を買い取った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「滝田樗陰」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.