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瀧脇信廣 : ミニ英和和英辞書
瀧脇信廣[たき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たき]
 (oK) (n) waterfall
: [わき]
 【名詞】 1. side 
: [まこと, しん]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 

瀧脇信廣 ( リダイレクト:滝脇信広 ) : ウィキペディア日本語版
滝脇信広[たきわき のぶひろ]
瀧脇 信廣(たきわき のぶひろ、1865年6月13日(慶応元年5月20日) - 1913年大正2年)10月26日〔『大正過去帳 物故人名辞典』29頁。〕〔)は、明治時代の子爵遠江相良藩田沼家第12代当主、のち駿河小島藩滝脇松平家第13代当主。初名・伊達 忠千代(ただちよ)、旧名・田沼 忠千代
== 生涯 ==
伊予宇和島藩伊達宗城の六男として生まれる〔『平成新修旧華族家系大成』下巻、31頁。同79頁では「五男」。〕。田沼氏から離縁した意斉に代わり1873年(明治6年)12月に当主となった田沼意尊の長女・智恵と、1874年(明治7年)11月に結婚して田沼家当主を継承するが、1878年(明治11年)6月に離縁(その後再び当主となった智恵は伏原宣諭の子・と再婚する)〔『平成新修旧華族家系大成』下巻、79頁。〕。
その後、1888年(明治21年)滝脇信成(小島藩第8代藩主松平信賢の二男で、同藩第11代藩主滝脇信敏の養子)の養子として迎えられ〔、1889年(明治22年)2月に滝脇家を継いだ。宮崎利央の長女・鏞子を後妻として迎え、1893年(明治26年)3月には長男・信鑰(のぶかね)が誕生した〔『平成新修旧華族家系大成』下巻、31頁。〕。
病のため1913年(大正2年)に逝去〔。跡を継いだ信鑰も10年後の1923年(大正12年)4月に隠居し、古市公威の四男・宏光を養嗣子に迎えて当主を継承させ、自身は分家した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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