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瀬戸 カトリーヌ(せと カトリーヌ、1976年1月5日 - )はフランスパリ出身の女優、タレント。本名、奥浦 高乃(おくうら たかの)。カトリーヌはフランス名のファーストネームで、愛称カトちゃんはこの名に由来している。父親がフランス人で母親が日本人のハーフであり、母語は日本語である。世界遺産検定2級を持つ。 ==人物・来歴== 父親がフランス人(パティシエ兼パン職人)で母親が日本人(元吉本新喜劇に在籍していた安田密子)のハーフ。パリで出生後、3歳で来日。当初は母の郷里香川県高松市で生活していたが〔本人談。NHKラジオ第1「気になることば正月スペシャル」2011年1月1日放送。〕、早期に父の仕事のために兵庫県神戸市へ転居。日本とりわけ関西圏での生活が長かったことが(話し言葉としての)関西弁常用、宝塚歌劇団・OSK日本歌劇団などの関西舞台芸能との接点が人生の進路を決定付けた。 父はかつて神戸市須磨区の山陽電鉄月見山駅南西の商店街(現在は都市計画道路中央幹線が整備・開通のため商店街は存在しない)にパン店「カトリーヌ」を開業。地元住民や近隣の学生からも利用されていたが1995年1月17日の阪神・淡路大震災で店舗は全壊し神戸市中央区の元町商店街に移転した(現在は閉店)。「フランス人が作るパンとケーキの店カトリーヌ」という看板が掲げてあった。 神戸常盤女子高等学校に在学中、宝塚とOSKの入団試験を受け、1993年にOSKの団員養成学校である日本歌劇学校に合格し入学。同期に朝香櫻子がいる。ちなみに芸名は、自身のファーストネームと母が四国出身だったので瀬戸内海にちなんでつけたとのこと。 2年後の1995年3月の初舞台に向けて諸芸の稽古に努めていたが、一家全員が阪神・淡路大震災被災。全員一命をとりとめるも、実家のパン店は全壊。人手及び経済的にも最小限で切り盛りしていたこともあり、家業の再建を目指すべく、OSK初舞台の初日付を持って、舞台に立つことなく退団。このエピソードは女性週刊誌でも紹介され、多くの読者から浅からぬ同情や声援を集めた。またこの体験から震災関連の講演会・シンポジウムにも多数出演している。 退団当初は、家族とパン屋再建のために奮闘していたが、日本歌劇学校時代からのダンスの才能と、関西弁の陽気な喋りの才能がマナセプロに着目され、家族を神戸に残し、ひとり上京しデビューする。1997年より芸能活動を開始、翌年から本格的に活動を開始する。その喋りぶりや物怖じしない言動を生かし、テレビではリポーターなど、バラエティ番組を中心に活動する一方で、舞台でも得意のダンスを生かし、ミュージカル・軽演劇ジャンルをメインに芸能活動を続ける。役者の仕事のオファーがなかなか来なかったときに三谷幸喜から声を掛けられ、以後三谷の作演出の演劇に出演することがある。その後、母の吉本再デビューなどもあり、父一人でパン屋を切り盛りしていたが、現在は店をたたみ、関西のさる料理・製菓の専門学校に講師として招かれ、後進世代の指導を行っていることを明かした。 2006年8月、3歳年下のビジネスマンの日本人男性(仕事の都合上カナダ在住)と結婚していたことと、結婚後も仕事を継続することを発表。 2009年8月、離婚を発表。同年10月『連続人形活劇 新・三銃士』で声優に初挑戦。マナセプロダクションに所属していたが2009年末契約終了。 2010年4月1日にサムデイに移籍した。2014年2月にサムデイとの契約を終了。 2014年4月より、澪スタジアムにて活動。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「瀬戸カトリーヌ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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