|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 瀬 : [せ] 【名詞】 1. current 2. torrent 3. rapids 4. shallows 5. shoal ・ 瀬戸 : [せと] 【名詞】 1. strait 2. channel ・ 戸 : [と] 【名詞】 1. door (Japanese-style) ・ 博 : [ばく, ひろ] 1. (n,n-suf,vs) doctor 2. Ph.D. 3. exposition 4. fair 5. exhibition 6. commanding esteem 7. winning acclaim 8. gaining 9. receiving 10. command esteem 1 1. win acclaim 12. gain 13. receive
瀬戸 博晴(せと ひろはる、1956年11月6日 - )は、将棋棋士。2000年、引退。二上達也九段門下。棋士番号は140。東京都新宿区出身。 == 棋歴 == 4歳の頃、兄から教えられ、将棋と出会う〔平成10年度版「将棋年鑑」〕。そして、中学1年のとき兄に将棋道場に連れていかれたのがきっかけで将棋を好きになり、2年後にはアマチュア四段の腕前となる〔「将棋世界」2000年1月号付録〕。 高校2年・16歳のとき、5級で奨励会に入会。初段昇段までは1年と半年というスピード出世。その間、振り飛車穴熊戦法を多用したため「穴熊の瀬戸」と呼ばれる〔。しかし、プロ入りに一歩手前の三段で長らく停滞する。 転機のきっかけとなったのは、師匠の二上達也から送られた年賀状に「穴熊の限界を知ること」と書かれていたことだった〔。一転して居飛車の矢倉を多用するようになってから調子が上がり、1979年10月18日、三段昇段から3年4か月で、ついに四段昇段を果たす。 1985年度、公式戦で師匠の二上と弟弟子の羽生善治と当たり、いずれも敗北する。しかし、同年度中に行われた第48期(1986年度前期)棋聖戦の一次予選・二次予選を突破し、本戦に進出。本戦では1回戦で中原誠名人に敗れる。なお、半年後の第49期棋聖戦一次予選1回戦では、羽生に勝っている。 1989年度、全棋士参加の大型トーナメント棋戦である第8回「全日本プロトーナメント」で、大内延介九段、中原誠棋聖・王座らに勝ち、5回戦に進出。 順位戦では参加8期目(1987年度・第46期C級2組順位戦)から10期目にかけて3期連続で降級点を喫し、C級2組から陥落。10年後、1999年度を最後に現役を引退した。但し、引退が確定した時点で第13期6組竜王戦の昇級者決定戦への参加資格が残っていたため引退日以降もこれに参戦し、2回戦で鈴木輝彦に、3回戦で菊地常夫にそれぞれ勝利、4回戦で北浜健介に敗れ、全ての公式戦を消化した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「瀬戸博晴」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|