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山あげ祭(やまあげまつり)は、栃木県那須烏山市の八雲神社例大祭の奉納行事で、特に市街地に仮設の舞台を作り歌舞伎を行う祭りとして知られている。 全て手作りの幅7m、高さ10m以上、奥行き100mの山と舞台装置一式を毎回組み立てて、所作狂言(歌舞伎)や神楽などの余興を奉納し、解体、移動を一日最大6回、3日間の祭礼で最大16回に渡って繰り返し、町中を巡行する。その移動総延長は20kmにも及ぶ。 「烏山の山あげ行事」として重要無形民俗文化財に指定(昭和54年2月)されている。現在、余興公演は7月第4週の金・土・日曜日の3日間に渡り行われる。 永禄3年(1560年)烏山城主那須資胤が牛頭天王に疫病退散を祈願した際に行われたのが起源とされている。当初は相撲や神楽獅子が奉納され、一時衰退したが、江戸末期より那珂川水運の拠点となり、木材や和紙の産地としての繁栄とともに再興。現在は6町(元田町、金井町、仲町、泉町、鍛治町、日野町)のもち回りで行われ、当番町制度となっている。かつては、祭りの日は賑わい、出店・露店が各所に出ていたが、近年は祭りそのものの催しが主となっている。よく誤解されているが、「山あげ行事」の言葉にあるように、主体は網代に和紙を貼った高さ十数mにも及ぶ「山」をあげる(立てる)「山あげ」である。「山あげ」の起源は江戸中期、恵みが町の隅々までいきわたるようにと築山を作ったのが始まりで、その大きさを競ううち、当時高級品だった特産の和紙(程村紙)で山を作るようになったとされる。山に「滝」が描かれるのはその名残で、全町を潤すという意味がある。そののち、山を背景に東京や宇都宮、笠間、常陸大宮などから一座を招いて余興が催されるようになった。昭和50年代、保存会を設けて地域住民が所作狂言(歌舞伎)を演じるようになり、現在に至る。6町それぞれ若衆制度はもちろん、かけ声なども異なっており、屋台を中心とした舞台装置が異なるため得意芸題も異なる。 平成26年3月、全国にある32の国指定重要無形民俗文化財である祭礼行事と一括されて「山・鉾・屋台行事」という名称で、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産の代表一覧表への記載を目指して、フランスのパリにあるユネスコ事務局に申請された。 == 祭事の流れ == ;お注連立式、奉告祭 7月1日 :早朝、祭りの間神域を表す齋竹を立て注連縄を張る儀式「御注連立式」で1ヶ月に及ぶ例大祭が始まる。 :夕刻に今年の芸題を奉告、小屋台に大書し、お祓いを受けた後、6町内に触れ回る「奉告祭」を行う。夕闇に提灯の明かりに照らされて浮かび上がる芸題と、それを引くお揃い姿の若衆の風情は格別。 :このしきたりに習い、現在でも観光協会では7月1日以降まで積極的なPRは行なわない。 ;例祭 :本来の神事の中心となるのが例祭で八雲神社に天下泰平、五穀豊穣を祈願する。 :本来の神事であるため、基本的に関係者のみで執り行われる。八雲講、自治会に市長、議会議長、県会議員などの行政関係者も参列。世話人衆は当番町のみ参殿し、他町は境内で参拝する。 ;笠揃 第4週木曜日 :本番を翌日に控え、本年の当番町と芸題のお披露目をする。 :夕刻から、金棒引きを露払いに当番町内を巡行し、舞台を開き、当番町の役付きを紹介するとともに、山、関係者、一般客をお祓いし、乾杯ののち、手締めし開演となる。町によっては舞台開きとお祓いが先となる場合もある。 :まず縁起物の三番叟(子宝三番叟)を舞ったのち、奉告した主芸題を舞う。歌舞伎でいうところの顔見世興行に当たる。笠揃は若衆が笠を背負い、整列することによる。 ;神幸祭(出御)天王建 金曜日 :当番町が担当。 :早朝から八雲神社で神事を行い、本殿と神輿の間を幕で繋いで神様に神輿に御遷りいただき、当番町を巡行したのち、旧烏山町市街中心部の仲町交差点に設けられた御仮殿(おかりや)に納められる。当番町はすぐ後に天王建を控えているため、舞台装置を取りに走って戻る。 :続いて芸題を御仮殿に居る神様に対し、奉納する。これを「天王建」と呼ぶ。この公演のみ「神事」で、こののちの公演は「余興」となる。 ;奉納余興(訪問) :奉納余興は各町、および自町内の各所に遍く山の恵みを分け与えるために各所に山をあげ、そこで余興を奉納することを言う。特に他町で余興を奉納することを訪問と呼び、会所前で行われる。他町を訪問する場合、金棒引きを露払いに世話人衆が先導し、町境にさしかかると、訪問先の町の世話人衆と若衆が整列して出迎える。訪問する側は、相手の庭先(町内)を借りる旨口上し、受ける側は案内する旨口上し、訪問先町内での移動は、その町の世話人衆が案内する。場所によっては、当番町を送る町と受ける町が向き合い、連続して行うところもある。 ;渡御祭 土曜日 :受受当番町(翌々年の当番町)が担当。 :早朝御仮殿で神事を行い、6町に屋敷町を含めた7町を巡行。先頭は触れ太鼓、続いて赤天狗と青天狗…と続く。渡御では奉納余興と同様、他町を訪問する場合、町境にさしかかると、訪問先の町の世話人衆が整列して出迎える。 ;還幸祭(還御) 日曜日 :受当番町(翌年の当番町)が担当。 :3日目の夕刻に御仮殿で神事を行い、まず八雲神社の鳥居まで、神輿を先頭に子ども神輿、神主、八雲講、屋台の順で送る(天王送り)。鳥居の前で、お飾りを外すと神輿は「あばれ神輿」に。7町を巡り、一度受当番町の会所に戻り、夜になると還御を再開。本来、神輿は八雲神社に還す(あがる)ことになるが、神輿が鳥居をくぐれば祭りの終わりを意味するため、門前まで来ると、あがるか戻って担ぎ続けるかを巡り世話人衆と神輿方で駆け引きがある。門前で神輿がもみ合ったのち踵を返し(回し)、再び自町、もしくは御仮殿に戻り、再度門前を目指すことを複数回繰り返す。何回繰り返すか、いかにもみ合うかが若衆の熱意を量る物差しとされる。近年は、交通規制の調整が厳しく、午前0時前後で終了することが多いが、警察との調整も踏まえた「見せ方」が世話人の腕の見せ所でもある。 :鳥居をくぐると太鼓が打ち鳴らされ、本殿に。出御とは逆に神輿と本殿の間を幕で繋いで、神様に本殿に御遷りいただき、神事を終了すると、当番町と受当番町の間で申し送りが行われる(現在は笠抜と時間が重複するため、後日行われることが多い)。 ;ブンヌキ :ブンヌキは、囃子の調子を競うもので、他町の囃子を「ぶんぬく」ことが由来とされる。基本的に市中で屋台が出会えば必ず行われる。各町若衆は、自町の囃子手を鼓舞するため、大声を出し囃す。路地の狭さと、新囃子の早いビートと相まって独特のトランス状態になる。 :特に還御祭で天王送りの後、鳥居前に残った屋台が互いを向き合わせて行うブンヌキは、受当番町以外の全屋台が集結するため、市民にとっても盛り上がりのピークとなる。この30分間は異様な興奮を醸し出すという。 :他にも、記念企画で屋台パレードなどを行うと、御仮殿前などで全屋台でのブンヌキが行われることがある。 ;笠抜 :3日目の最後に行われる最後の公演。演目は「関の扉(下)」「老松」。 :昭和後期まで、還御が終了してから行う(笠抜が最後)ことになっていたが、現在は慣例で10時になると笠抜を始めてよいとされている。関の扉と老松(千秋楽)が演じられる。 :笠抜は正装で背負う笠を取ることに由来する。 ;名越(夏越祓) :7月31日の午後6時から、夏虫の禍、頭痛、暑気あたりに効果があるとされる、茅の輪くぐりをして1ヶ月の例大祭が終了する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山あげ祭」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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