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烏山の戦い(オサンのたたかい)は、朝鮮戦争中の1950年7月5日に京畿道烏山付近を戦場としてアメリカ合衆国と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の間で行われた戦闘である。アメリカと北朝鮮の地上軍同士が初めて本格的に衝突した戦闘として知られている。 == 戦闘に至る経緯 == 6月25日早朝より北朝鮮軍の全面侵攻が開始されたことを受けて、ダグラス・マッカーサー元帥を司令官とするアメリカ極東軍(Far East Command)司令部は、27日夕刻、第4部副部長であったジョン・H・チャーチ准将および12名の班員を韓国に進出させ、前進指揮所兼連絡班(ADCOM)としていた。28日のソウル陥落、および東海岸道・中央道の状況から、チャーチ准将は、米地上軍を投入するよう、極東軍司令部に具申した。マッカーサー元帥はこれを是認し、30日早朝3時、ワシントンに対して許可を求めた。同4時57分、トルーマン大統領はこれを許可した。 このとき、極東陸軍の主力は、ウォルトン・ウォーカー中将を司令官とする第8軍であり、その戦力は、北海道・東北の第7歩兵師団、関東の第1騎兵師団、関西の第25歩兵師団、九州の第24歩兵師団であった。マッカーサー元帥は、第24師団の全力と、第25師団のうち第27連隊戦闘団を朝鮮半島に投入するよう指示した。第24師団の出動は30日夜には下命された。この命令では、大隊長指揮の2個中隊を先遣してチャーチ准将の指揮下に入れるように指示されていた。 第24師団長(ウィリアム・ディーン少将)は、先遣隊の指揮官として、練度・士気の面から、熊本の第21連隊第1大隊長 チャールズ・B・スミス中佐 (Charles B. Smith, 〔http://www.chosunonline.com/article/20040705000078〕) を指名した。この先遣隊はスミス中佐の名前からスミス支隊(Task Force Smith)と呼ばれ、兵力は440名、同大隊の主力(大隊本部中隊の半数、B中隊、C中隊、75mm無反動砲小隊、107mm迫撃砲小隊)によって編成されていた。スミス支隊の各員は小銃1丁につき120発の弾薬と2日分の食料を携行していたが、空輸上の問題から、無反動砲小隊と迫撃砲小隊は、それぞれ定数の半分の砲(それぞれ2門ずつ)しか輸送できなかった。スミス支隊は、7月1日、C-54輸送機によって韓国釜山に到着し、翌7月2日には大田に移動した。 7月2日午前、大田において、スミス中佐はチャーチ准将に申告した。チャーチ准将は、スミス支隊に対して、平沢-安城の線を確保するように命令した。 一方、第24師団主力の移動も開始されており、師団長ディーン少将は、3日午前10時に大田に到着し、在韓米軍(USAFIK)の指揮官に任ぜられた。ディーン少将はチャーチ准将の措置を是認したが、スミス支隊のみでは阻止線として不十分であると考え、さらに第34連隊の北上を急がせるように指導した。第34連隊の到着は5日朝と予定され、これでは展開の時間が不足であることから、スミス支隊はさらに前進して、第34連隊の展開する間、敵を遅滞するよう命じられた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「烏山の戦い」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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