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焙烙火矢(ほうろくひや)または焙烙玉(ほうろくだま)は、戦国時代の日本で使用されていた火薬を用いた兵器である。 == 概要 == 焙烙火矢とは、料理器具である焙烙、ないしはそれに似た陶器に火薬を入れ、導火線に火を点けて敵方に投げ込む手榴弾のような兵器である。手で直接もしくは縄を付けて遠心力を使った投擲が行われ、敵兵の殺傷を主目的とした。付随して周辺の木造部分へ引火することもある。現代でいう焼夷弾に似た兵器であるが、爆発力や容器の破片での殺傷が主目的で、炎での攻撃は威力が低かったと思われる。村上水軍、毛利水軍、乃美水軍(浦水軍)、児玉水軍などの瀬戸内水軍が主に使用していた。火矢と名前がついているが、丸い爆弾の状のものが多く、そのため焙烙玉とも呼ばれた。これらの兵器に対抗する為に織田信長が九鬼嘉隆に命じて鉄甲船を開発させたとされている。 西洋諸国のように大形の大砲を製造できるほどにまだ鋳造技術が優れていなかった当時の東アジアでは、こうした投擲弾的な兵器が攻城戦や海戦で比較的多く導入された。そもそも、建築物や軍船のほとんどが木製だったため、衝突力を主な攻撃力とする大砲よりも燃焼力、爆発力を利用した攻撃が有効であった(一方の西洋においても、海上戦闘においては当時の威力不足の大砲は決定的な兵器ではなく、最終的には接舷しての白兵戦で決着をつけた時代である)。特にヨーロッパの帆船が外洋での航海を想定した設計なのに対し、戦国時代の日本の軍船は内海・近海のみの航海に特化していたため、船体の上に大きく防壁を備えた構造であったので、その隙間に爆発物を投げ込む戦術が比較的有効であった。こうした理由から攻城戦や水上戦で防御施設や船を焼き払うことができるために重要な戦力となった。 さらなる発展型として、焙烙火矢を球状ではなくロケット状にして大筒を用いて発射、さらに黒色火薬の火力を推進力として利用した原始的なロケット弾を指して言う場合もある。この発展型の焙烙火矢は、棒火矢とも呼ばれる。こうした兵器は、おそらくは中国の神火飛鴉などの同様のロケット型の兵器(火箭)を糸口にして作成されたと考えられる。ただし棒火矢が生まれたのは慶長年間であり、実戦用の兵器として用いられる事がほとんど無かったために、どの程度の効果があったかは未知数である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「焙烙火矢」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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