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無生野の大念仏 : ミニ英和和英辞書
無生野の大念仏[むしょうののだいねんぶつ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [む]
 【名詞】 1. nothing 2. naught 3. nought 4. nil 5. zero
: [せい, なま]
  1. (adj-na,n,adj-no) (1) draft (beer) 2. draught 3. (2) raw 4. unprocessed 
: [の]
 【名詞】 1. field 
: [ねん]
 【名詞】 1. sense 2. idea 3. thought 4. feeling 5. desire 6. concern 7. attention 8. care 
念仏 : [ねんぶつ]
  1. (n,vs) Buddhist prayer 2. prayer to Amitabha 
: [ほとけ]
 【名詞】 1. Buddha 2. merciful person 3. Buddhist image 4. the dead 

無生野の大念仏 : ウィキペディア日本語版
無生野の大念仏[むしょうののだいねんぶつ]

無生野の大念仏(むしょうののだいねんぶつ)〔文化財指定名称は無生野の大念仏であるが、現地では保存会の名称も含め無生野大念佛と表記されている。〕は、山梨県上野原市秋山の無生野地区に伝わる、踊り念仏を主体とした伝統行事伝統芸能である〔文化遺産オンライン – 無生野の大念仏 〕〔山梨県教育委員会編 (1982)、p.63〕。
旧暦1月16日旧正月期間)と太陽暦8月16日お盆期間)の年2回、無生野集会場(公民館)に設けられた道場と呼ばれる会場(後述)で、白装束をまとった踊り手が、太刀、締太鼓、棒などを振りかざし、経典を唱え、鉦(かね)、太鼓を激しく打ち鳴らしながら踊りまくる〔親王と姫を慕う集落-上野原「無生野の大念仏」『毎日新聞』2012年2月14日付山梨版、第13版、第24面〕。
踊り念仏の原型をよくとどめているものとして、1960年昭和35年)11月7日、山梨県指定無形文化財に指定され、国により1972年(昭和47年)8月5日に記録作成等の措置を講ずべき無形文化財として選択された。
さらに1995年平成7年)12月26日には、山梨県内では2件目となる国の重要無形民俗文化財に指定された〔。
文化庁による指定種別は、民俗芸能・風流である〔。
== 概要 ==

無生野(むしょうの)地区のある上野原市秋山は、山梨県のほぼ最東端にあたり、村の中央を西から東へ流れる秋山川相模川水系)に沿って集落が点在する、周囲を道志山塊に囲まれた山村である。
大念仏が行われる無生野は秋山川の最上流部、雛鶴峠を挟んで都留市と接した秋山地内の西端、標高約500-550メートルにある山間の小集落である〔秋山村教育委員会編 (1981)、pp.9-15〕。
この地に伝わる無生野の大念仏は、古くから無生野地区の人々により連綿と受け継がれてきたもので、太鼓鉦鼓鉦叩)などの鳴物を鳴らし経典を唱え、踊り手は太刀締太鼓を持ち鳴物の周囲をめぐるという、舞踊の初源的な姿を留めており、さらに演目次第の中に病気平癒への祈祷の意味を持つものがあるなど、祭祀行事から芸能へと進展する過程を示すものとして重要な無形民俗文化であり、かつ地域特色が濃い伝統行事である〔。
大念仏とは人々が一堂に会し念仏を修す行事に踊りが加わったもので、平安時代末期の永久年間頃に、天台宗の僧侶である聖応大師良忍が開宗した融通念仏宗が起こりとされ、日本各地に広まるにつれ、踊躍歓喜(ゆやくかんぎ)の動作を伴い、次第に芸能化するようになったと言われている。一般的にはこれらを総称して踊り念仏、あるいは念仏踊り、と呼んでいるが、厳密に言えば両者に共通点はあっても基本的には異質のものである。踊り念仏があくまでも宗教的な目的で行われる仏教儀礼であるのに対して、念仏踊りとは踊り念仏を基本として、次第に芸能化、娯楽化に進展・発展したもので、いわゆる風流に変化したものを言う〔秋山村教育委員会編 (1981)、pp.45-49〕。また、空也上人の影響から派生したものに六斎念仏がある。これは経文に節をつけた鉦念仏を唱えたものに、鉦や太鼓などが加わり、さらに「六斎踊り」という踊りもつけられたもので、仏教的儀礼的なもの(踊り念仏)と、風流的なもの(念仏踊り)の前二者に対して、その中間的な要素を持つものである〔秋山村教育委員会編 (1981)、p.48〕。
これらの分類を基にして考察すると、無生野の大念仏は随所に仏教的要素を多くとどめながら、鉦や太鼓などの鳴り物、踊りの振り、道場の設置、飾りつけなど、全ての面で素朴であり華美なものは見当たらない。特に無生野大念仏のクライマックス〔ともいえる「ぶっぱらい」に見られる悪霊追放の所作は、芸能と言うよりは、仏教儀礼要素や修験的要素が濃い、極めて初源的な大念仏であり、むしろ最初期の六斎念仏と見るのが妥当である〔。実際に1960年(昭和35年)に山梨県指定無形文化財に指定された際の指定名称は、「無生野大念佛(六斎念佛 )」であった〔山梨郷土研究会編、安留 (1981)、p.23
〕。
無生野には大念仏と小念仏が残されているが、小念仏は葬儀新盆の際に、おもに女性によって唱えられる踊りの付かない念仏であるのに対して、大念仏は道場を設けて行われ踊りを伴う〔朝倉邦造監修、堀内 (2009)、p.1,734〕。
かつて大念仏は山中湖村平野地区〔山梨郷土研究会編、安留 (1981)、p.22〕、富士河口湖町西湖地区、大月市梁川町綱の上地区など〔、山梨県内各所で行われていたが、ほとんどが廃れてしまい、2014年現在山梨県下で大念仏が残されているのは無生野の大念仏のみで、経文を唱えるだけの小念仏が県内他所に僅かに残るだけである〔秋山村教育委員会編 (1981)、p.10〕〔山梨県文化財調査委員会編 (1959)、p.3〕。
他地方であれば風流化し、念仏踊り化するものが、無生野の大念仏では、踊り念仏の原型を保ち、初期的な形態のまま受け継がれ、長い年月にわたり保たれているのは、この地が地形的に見て芸能伝播の終着点にあたり、ここから先の伝播の経路を持たなかったことに加え、無生野に伝わる雛鶴姫伝承によるところが大きいと考えられている〔秋山村教育委員会編 (1981)、pp.48-49〕〔山梨郷土研究会編、安留 (1981)、pp.22-23〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「無生野の大念仏」の詳細全文を読む




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