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無著道忠(むじゃく どうちゅう、承応2年7月25日(1653年9月16日) - 延享元年12月23日(1745年1月25日))は、江戸時代の禅宗中の臨済宗妙心寺派の学僧である。諱は道忠.号は葆雨堂・照冰堂。 俗姓は熊田氏で但馬国(兵庫県)の出身である。 == 生涯 == 最初出石の如来寺で小僧となり、1660年、8歳で上洛し出家して、妙心寺龍華院の竺印祖門(1610年 - 1677年)の門弟となり、嗣法となる。 その後は紀伊国吹上寺の逸堂・越前国大安寺の黙印のもとに参禅、一旦帰京して龍華院に住し、1677年、25歳で、師の跡を継ぎ、龍華院の第2世に就任する。この頃すでに、禅籍などの講筵に加わり、大愚宗築門下の黙印について修禅にはげんでいた。また、各地の先学に教えを乞い、禅籍以外の仏典、漢籍、暦書、中国・日本の小説の類や古籍などの種々の分野にわたる諸本を渉猟した。そして、古版本や古写本の抄写や校勘を行なった。自ら禅籍の講説を行なうことも多く、注釈書や辞書の類を多く著し、その中で『金鞭指街』18において鈴木正三の仁王禅を、『正法眼蔵僣評』(正徳3年(1713年)による道元の『正法眼蔵』中の大慧への言及を、『黄檗外記』(享保5年(1720年))による黄檗宗(隠元隆琦)をそれぞれ批判した。その緻密な方法による業績群は当時にあっては異彩を放っており、近現代になってからも、その学問的評価は揺らぐことがない。 1707年、55歳で妙心寺の住持となる。1714年、62歳の時に、妙心寺に再住。1722年、69歳で、妙心寺に三住する。1723年、70歳で龍華院に隠居。 延享元年12月23日(1745年1月25日)、92歳で没する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「無著道忠」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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