|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 無 : [む] 【名詞】 1. nothing 2. naught 3. nought 4. nil 5. zero ・ 神 : [かみ] 【名詞】 1. god ・ 信 : [まこと, しん] 1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion ・ 流 : [りゅう] 1. (n,n-suf) style of 2. method of 3. manner of 4. school (of thought)
無雙神傳英信流(むそうしんでんえいしんりゅう)は、土佐に伝わった居合を中心とした武術の流派。無双直伝英信流と元々は同じ流派である。無双直伝英信流(谷村派)に対し、俗に下村派と呼ばれる。 == 歴史 == 無雙神傳英信流抜刀兵法は戦国時代末期の人、林崎甚助(重信)を流祖とする。林崎甚助の生国は羽州村山郡楯岡在林崎村(現 山形県村山市大字林崎)で、浅野数馬を父、菅野を母として生まれたとされる。父の仇を討つため林崎明神に祈願し、参篭。剣の修行に励み夢想の間に居合の秘術を授かったと伝えられる。 甚助の門人田宮平兵衛業正は豊臣秀吉の武将池田恒興に仕官し、その流派田宮流は紀州徳川家に伝えられた。田宮平兵衛より五伝して長谷川英信がこれを伝えるが、英信は居合の他、槍術、柔術にも名があり紀州徳川家に仕えた。英信は流祖林崎甚助以来の達人と称され、これより流名に英信の字が加えられている。 長谷川英信の弟子、荒井信定は山内家家臣、林守政にこれを伝え、以後、同流は土佐藩において伝承されることとなった。林守政はまた、新陰流の剣術の師である大森六郎左衛門に大森流の居合をも習い、これを無雙神傳英信流に併伝した。居合の他に和(やわら)をもよくし、朝比奈可朝から小栗流和術の免許をも授かっている。 その後、幕末に至り土佐藩の藩校・致道館において同流の師範であった下村茂市が明治維新までこれを教授したが、下村茂市も柔術をよくし、高木流体術拳法の師範も兼ねていた。下村茂市を師とし、大正まで同流を伝えたのが土佐の自由民権運動の重鎮であった細川義昌である。細川義昌(島村馬之丞の実子)は居合の他、竹内流(呑敵流)小具足組打、無外流剣術、川心流槍術、甲州流軍学や砲術を修行し、戊辰戦争の高松征討出陣の慶応4年(1868年)に下村茂市より無雙神傳英信流の免許皆伝を授かった。細川は明治維新後、政治活動を行い、高知県会議員や衆議院議員の職についたが、大日本武徳会高知支部常議員として武術から離れる事はなかった。 細川義昌は大正12年(1923年)に香川県の植田平太郎に免許皆伝を授けた。植田平太郎の兄弟弟子の中山博道は、細川善昌から居合を学びながら、細川義昌伝とは異なる独自の工夫を加えた居合を創め、流名も改めた。中山の門人たちは夢想神伝流を名乗った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「無雙神傳英信流」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|