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熊王 徳平(くまおう とくへい、1906年(明治39年)6月15日 - 1991年(平成3年)8月1日)は、日本の作家(農民文学者)・歌人。ペンネームに「五十嵐竜吉」を用いた〔『特設展 山梨の農民文学』〕。 == 略歴 == 山梨県南巨摩郡増穂町(現・富士川町)に生まれる〔『特設展 山梨の農民文学』、p.10〕〔堀内(2008)、p.39〕。生家は理髪店〔『特設展 山梨の農民文学』、p.10〕。増穂小学校を卒業すると、稼業の理髪店を継ぐ一方で、行商も行う〔『特設展 山梨の農民文学』、p.10〕〔堀内(2008)、p.39〕。 徳平は農民運動に携わり、共産党員としても活動した〔『特設展 山梨の農民文学』、p.10〕〔堀内(2008)、p.39〕。1930年(昭和5年)4月には全国農民組合山梨県連合会に参加し、1931年(昭和6年)9月には日本プロレタリア作家同盟山梨支部を結成する〔『特設展 山梨の農民文学』、p.10〕〔堀内(2008)、p.39〕。 作家としては、徳平の自筆年譜によれば1931年(昭和6年)に『山梨日日新聞』「日曜文芸」に初の短編「初奉公」を投稿し、中村星湖の選で掲載されたという〔堀内(2008)、pp.39 - 40〕。1940年(昭和15年)4月10日には山内一史・石原文雄らと同人誌『中部文学』を創刊し、創刊号に発表した「いろは歌留多」が『文芸』推薦の候補となる〔堀内(2008)、p.40〕。「いろは歌留多」は同年9月の第11回芥川賞候補となる〔堀内(2008)、p.40〕。この年の芥川賞候補には徳平と親戚関係にある農民文学者・山田多賀市の「耕土」も候補となるが、該当者無しとなる〔堀内(2008)、p.40〕。徳平は芥川賞候補となったことで『文芸』推薦の一人である宇野浩二に師事する〔『特設展 山梨の農民文学』、p.10〕。 1948年(昭和23年)1月には小谷剛により名古屋で『作家』が創刊され、徳平のほかにも山梨県ゆかりの農民文学者・評論家である相田隆太郎・中村鬼十郎が作品を発表する〔堀内(2008)、p.40〕。徳平は創刊号に「甲府盆地」を発表している〔堀内(2008)、p.40〕。徳平は『作家』『文藝春秋』に増穂町町会議員選挙を題材に農民ルポターシュとして「山峡町議選誌」を連載し、1956年(昭和31年)下半期の直木賞候補となる〔堀内(2008)、p.40〕。1977年(昭和52年)には初の短編小説集『甲府盆地』を刊行した〔『特設展 山梨の農民文学』、p.10〕〔堀内(2008)、p.40〕。生地である山梨県の風土に根ざした作品を多く手掛ける。 生地の富士川町大久保の戸川渓谷には『甲府盆地』所収の短編「米と繭」の一節が刻まれた文学碑が建設されている〔『特設展 山梨の農民文学』、p.10〕〔堀内(2008)、p.40〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「熊王徳平」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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