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熊田 康則(くまだ やすのり、1963年3月18日 - )は日本の元バレーボール選手、指導者。神奈川県出身。 ==来歴== 横浜市立末吉中で当初野球部に所属するが、2年次にバレーボール部に転部。法政二高に進学し、2年までセッターを務めたが3年からアタッカーに転向。 高校3年で全日本に呼ばれ、法政大学に進学し4年次には大学主要タイトル4冠を達成。 1985年、大学卒業とともに富士フイルム入社。1年目から日本リーグでの21試合全勝優勝〔トップリーグヒストリー 第19回日本リーグ Vリーグオフィシャルサイト〕を経験するなど富士フイルム黄金時代を支え、同チームの主将も務めた。川合俊一(中学からの顔見知り)、井上謙(高2の練習試合で出会う)と共に〔カーテンコール 熊田康則さん - バレーボールマガジン〕、「バレーボール界のビッグ3」と言われ、大砲として日本バレーボール界をリード。第13回ユニバーシアード大会(1985年)で金メダルを獲得。1988年ソウル五輪出場。 1987年には第1回ビーチバレージャパンに富士フイルムのチームメイトで後に日本ビーチバレーボール連盟会長となる川合俊一とのペアで参加し、初代王者として名を刻んだ。同大会では1991年の第5回大会でも優勝。また、ビーチバレーが国体に初採用された1997年なみはや国体でも優勝を果たした。 富士フイルムでは1992年からコーチ兼任となり、1994年度を最後に現役引退し社業に専念。バレーボール指導者として、1999年に神奈川県の小学生バレーボールクラブチーム・大和ベアーズのコーチに就任、2000年に同クラブ監督に就任。2002年全日本小学生大会で、全国大会初勝利を挙げる。 高校バレーの強豪である八王子実践中学校・高等学校バレー部コーチとしても指導した〔2008埼玉インターハイEXPRESS 出場校詳細/八王子実践 月刊バレーボール編集部 2008年7月〕。 大和ベアーズは2010年に座間ハンドタイガースと合併し SAMURAI Legend(女子:タイガース / 男子:ベアーズ)と改組、同クラブチーム総監督に就任。 2014年8月、博多ジュニアバレーボールクラブのスーパーアドバイザーに就任。 娘の熊田美愛もビーチバレー選手。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「熊田康則」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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