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熊野三山検校(くまのさんざんけんぎょう)は、京都において熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)の統轄に当った役職で、11世紀末に現地を統括していた熊野別当の上に設置された。 == 概要 == 寛治4年(1090年)、熊野に参詣した白河院は、熊野詣の盛行に鑑みて、一地方霊山に過ぎなかった熊野三山を組織的に管理する必要を感じ、先達(せんだつ、道案内人)を務めた園城寺長吏の増誉〔関口力は増誉の祖父である藤原隆家が、自身の大宰権帥就任祈願とその御礼のために2度の熊野参詣を行った際に当時の慣行として熊野側に相応の寄進を行ったと推定し、増誉はその恩恵により熊野修業が許され、その後も強い影響力を有したとしている(関口71-89 )。〕(1032-1116)を新設の熊野三山検校に補任し、在地の支配者である熊野別当の上に置いた〔阪本25 〕。同時に熊野別当の長快を法橋に叙階したことにより、熊野三山は中央の僧綱制に連なることとなった〔宮家6 〕。 しかしながら、宗務は無論のこと、所領経営、治安維持、さらに神官・僧侶・山伏の管理といった統治実務にあたったのは熊野別当とそれを補佐する諸職であった〔宮家16 〕のに対し、熊野三山検校の本務は院の熊野詣に際して先達を務めることであったため、その性格は多分に実権よりも名誉や権威に重きがおかれた役職であった〔が、熊野別当家の没落につれ、14世紀中頃以降、熊野に対する実権を掌握するようになっていった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「熊野三山検校」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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