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熊野丸(くまのまる)は、大日本帝国陸軍が建造した揚陸艦である。日本陸軍における分類は特種船。太平洋戦争中に護衛空母機能を有する上陸用舟艇母船として起工されたが、完成が大戦末期となり、実戦使用されないまま終戦を迎えた。引き揚げ船として使用後、解体された。 == 建造 == 日本陸軍は、島国という地理的事情のため早くから上陸戦に対する関心が深く、1930年代から陸軍特種船(陸軍特殊船)と称される揚陸艦を建造していた。太平洋戦争が勃発すると揚陸戦艦艇の需要は高まり、戦時標準船に代表される計画造船の一環としても特種船4隻の建造が行われることになった。戦時型の特種船は一般の戦時標準船各型と並んでM型に分類され、うち2隻は標準的な舟艇母船のM甲型、2隻は上陸戦支援のための航空機発進能力を有するM丙型として計画された。なお、完全な軍用船ではあるが、民間海運会社保有の商船名目で建造し、徴用の形で陸軍管理下で運航する方式を採った〔岩重(2011年)、56頁。〕。 このM丙型1番船として計画されたのが「熊野丸」である。1944年(昭和19年)3月から着工のM甲型に続いて、日立因島造船所で建造されることになった〔。名目上の船主は川崎汽船である。空母類似の全通飛行甲板による航空機運用能力を持つ特種船としては、戦前計画の「あきつ丸」に続き2隻目となる。ただし、この時点での航空機運用は上陸戦時の支援戦闘が目的で、飛行甲板は発進専用、使用後は陸上飛行場に着陸させる計画だった。 ところが、「熊野丸」が未着工のうちに太平洋戦争の戦局は次第に悪化、特にアメリカ海軍潜水艦による輸送船被害の増大が問題となった。日本陸軍は、海軍による海上護衛が十分でないと不満を抱き、1943年(昭和18年)8月から陸軍船舶兵が運用する独自の対潜用護衛空母の建造を検討し始めた。日本海軍との折衝の末、「あきつ丸」およびM丙型にカ号観測機や三式指揮連絡機を運用できる護衛空母機能を追加することと、護衛空母兼用タンカーである特TL型戦時標準船を建造することが、1944年3月までに決定された。その結果、未着工の「熊野丸」も護衛空母化の対象となり、海軍協力の下で設計が変更されることになった〔岩重(2011年)、58頁。〕。 「熊野丸」は1944年8月に起工され、1945年(昭和20年)1月末に進水、同年3月末に竣工となった。ただし、艤装のうち高射砲など兵装の搭載は行われていない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「熊野丸」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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