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熊野速玉祭(くまのはやたままつり)は熊野速玉大社(和歌山県新宮市)の例大祭。例年10月15から16日に執行され、15日の神馬渡御式(しんめとぎょしき)、16日の御船祭(みふねまつり)で知られる。 国指定重要無形民俗文化財(2016年〈平成28年〉3月2日指定、御燈祭と合わせて)〔平成28年3月2日文部科学省告示第40号。〕、和歌山県指定無形民俗文化財(1964年〈昭和39年〉5月28日指定)。 == 熊野権現来臨の祭 == 速玉大社は「熊野十二所権現」と総称される複数の神を祀るが、本祭礼はその中でも主祭神である速玉大神と夫須美大神に対してのもので、宗教民俗学的な解釈に従えば、常世から来た神霊が熊野川を遡上して御舟島に鎮座した後、乙基河原をへて新宮に遷座したという熊野権現来臨のありさまを再現した祭りである〔桜井172 〕。 10月15日の神馬渡御式(後述)は、 # 阿須賀神社の神霊を速玉大社第二殿に迎える # 神霊が御旅所へ渡御する # 御旅所での祭儀の後、神霊が第二殿に還御する という構造をとっている。しかしながら、この構造を単に阿須賀神社から速玉大社への遷座と見ることはできない〔桜井167 〕。「熊野権現御垂迹縁起」(『長寛勘文』所収)等に見られる熊野権現の縁起譚が伝えるところによれば、熊野権現は熊野の地において熊野権現はまず神倉神社に降臨し、次に阿須賀神社北側にある石淵(いわぶち)谷〔 今日の貴禰谷神社(三重県紀宝町)と考えられている1997: 221 。〕に勧請されて、その時に初めて結早玉・家津美御子と称した。その後、石淵谷から新宮に遷座した〔桜井166 〕としており、阿須賀から新宮にではない。すなわち、神馬渡御式の構造とは、熊野権現が石淵谷から新宮へと遷座した過程を表しているのである〔桜井168 〕。 また明治以前まで祭が開かれていた旧暦9月15日から16日は、秋の末の望の日であり、近世の記録によれば14日には田楽も行われていたという〔桜井173 〕。こうした点から、速玉祭は秋の収穫祭としての性格を帯びている〔桜井184 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「熊野速玉祭」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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