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『燃えつきた地図』(もえつきたちず)は、安部公房の書き下ろし長編小説。『砂の女』『他人の顔』と共に、「失踪」三部作とされている〔安部公房「〈著者との対話〉通信社配信の談話記事」(名古屋タイムズ 1967年10月2日号に掲載)〕〔波潟剛「安部公房『燃えつきた地図』論―作品内の読者、小説の読者、および同時代の読者をめぐって―」(筑波大学文学研究論、1997年)〕。突然失踪した或るサラリーマンを捜索する探偵が、男の足取りを追って奇妙な事件に遭遇するうち、やがて探偵自身が記憶を見失って失踪する物語。都会という砂漠の迷路の中で捜査の手がかりを求めてさまよう主人公の心象風景を通じ、現代の都市社会の人間関係を描いている〔安部公房「著者の言葉――『燃えつきた地図』」(『燃えつきた地図』函表文)(新潮社、1967年)〕〔安部公房(佐々木基一・勅使河原宏との座談会)「“燃えつきた地図”をめぐって」(『燃えつきた地図』付録)(新潮社、1967年)〕。探偵小説と純文学を融合させたスリップストリームと分類されることもある。 1967年(昭和42年)9月30日に新潮社より刊行され、安部自身の脚本により勅使河原宏監督で1968年(昭和43年)6月1日に映画化された。 なお、物語の最終部分は、短編『カーブの向う』(1966年)を一部改稿したものとなっている〔「作品ノート21」(『安部公房全集 21 1967.04-1968.02』)(新潮社、1999年)〕。 == 作品成立・主題 == 安部公房は、『砂の女』の主人公は〈逃げた男〉だったが、『燃えつきた地図』では逆に〈追う男〉を主人公にしたとし、「都市……他人だけの砂漠……その迷路の中で、探偵はしだいに自分を見失っていく。あえて希望を語りはしなかったが、しかし絶望を語ったわけでもない。おのれの地図を焼き捨てて、他人の砂漠に歩き出す以外には、もはやどんな出発も成り立ち得ない、都市の時代なのだから……」と説明している〔。 そして、失踪者と捜索依頼者との間にできる「新たな関係」をめぐり、現代社会での人間関係について触れて、「農耕社会での人間関係というのは、どちらかというと宿命論的な結びつきだ。それが産業社会になってくると、もっと可変的な、あいまいなものになる。では農耕社会より、結びつきが薄いかというと、複雑になったというだけで、本当はむしろ濃いんだな」と語っている〔安部公房(佐々木基一・勅使河原宏との座談会)「“燃えつきた地図”をめぐって」(『燃えつきた地図』付録)(新潮社、1967年)〕。 都市の本質のイメージが何故〈悪夢〉として形象されるのかについては、「すでに無力になった共同体の言葉で、共同体の対立物である都市を語ろうとするのだから、そのイメージが悪夢めいてくるのも、しごく当然のことなのだ」と説明し〔安部公房「都市について」(新潮 1967年1月号に掲載)〕、孤独に悩んでいる群衆は都市の言葉を持たず、「内部に他者を喪失した状態」に堕ちこんでいるとし、そこからの「脱出」は都市への方向にしかなく、希望は容易くなく絶望は続くが、「その絶望に向かってとにかく通路を掘るということ」が、「人間の営みというか、仕事なんじゃないかな」と安部は述べている〔。また、「都市化」の急速な進行に伴う自殺の増加が「時代病」とされていることを指摘しながら、「なんとか、都市の言葉を見つけだし、都市の孤独を病気だと錯覚している、その錯覚に挑戦してみたい。いま必要なのは、けっして都市からの解放などではなく、まさに都市への解放であるはずだ」と説明している〔。 〈失踪〉という主題に関しては、「失踪とは、やはり現在の共同体の中で疎外感をもっている者が逃亡することだと思う」とし、以下のように語っている〔安部公房「〈インタビュー 安部公房氏〉『波』のインタビューに答えて」(波 1967年10月1日・第一巻第4号に掲載)〕。 そしてそれとは違う、もっと意識的な失踪の例として、或るニューヨーク州知事で将来有力な大統領候補とまでいわれた男が失踪し、ニューヨークでタクシー運転手をしていたというアメリカの記事に触れて、この男のような失踪は、かなり「能動的な」失踪だと述べている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「燃えつきた地図」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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