|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。
「燃えよドラゴンズ!」(もえよドラゴンズ)は、プロ野球セントラル・リーグ・中日ドラゴンズの応援歌。略称燃えドラ。 作詞・作曲を担当した山本正之の作曲家デビューを飾った曲でもある。 == 経緯・概要 == 1974年、巨人のV10を阻止した20年ぶりのリーグ優勝を記念し、CBCラジオの生ワイド番組『ばつぐんジョッキー』の企画で作られた。 当時、『ばつぐんジョッキー』月曜日のパーソナリティは元中日投手の板東英二で、シーズン終盤の番組で初めて送られてきたデモテープをかけたところ問い合わせが殺到し、同じ生放送で同じ曲を2度流すのも異例だが、その時は放送時間3時間のうちに5回もかけ、翌週には番組にリクエストが殺到したという。 作曲者の山本によれば、「先輩から企画で応援歌を募集していて、選ばれれば賞金10万円が貰える」と言われ応募したが、賞金については先輩の嘘だった。同時に東海テレビにデモテープを送付しており、そちらでも反響は大きかったが、先にレコード化を働きかけてきたのがCBC側だったという。 中日が巨人と激しい優勝争いをしていることもあってこの曲のヒットを確信した板東は山本から版権を買おうとしたが、「売れるわけがない」というマネージャーの発言で断念したという経緯がある。当時レコードを作るには最低2ヶ月かかるが、優勝が決まってからレコードを発売しても応援歌としては価値がないため、レコード会社に無理を言い、製作することになった。 その後板東は仕事で海外に行っていたが、船で帰国して横浜港に降り立ったところレコード会社の社員が板東を待っており、その足でレコーディングに向かったという。結果的に中日が巨人の10連覇を阻止し、20年ぶりの優勝を果たしたためこの曲も40万枚を超える大ヒットとなったのだが、前年のオイルショックの影響でレコードの材料となるポリ塩化ビニルが不足していたこともあって、受注に生産が追いつかない状態だった。 中日には歴代の球団歌として「ドラゴンズの歌」(1950年 - 1977年)、「勝利の叫び」(1978年 - 2014年)、「昇竜 -いざゆけ ドラゴンズ-」(2015年 - 現在)が、また1997年のナゴヤドーム開場を記念して作られた公式応援歌の「嵐の英雄」があるが、「燃えよドラゴンズ!」の知名度及び人気はそれらをはるかに凌ぐものがあり、2002年からは中日の7回裏の攻撃前(ラッキーセブン)に「ナゴヤドーム合唱編」(水木一郎歌唱版)が流されている。ビジター球場でも交流戦やドアラ等のマスコットが来場した時を中心に7回表攻撃前に流されることもあるが、相手チームを叩く内容の2番と3番はカットされることが多い。 得点時や勝利時の試合終了後には、中日応援団により「燃えよドラゴンズ!」が歌われる。なお、ビジター等他球場では「ナゴヤドーム」の部分に各球場名が入る。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「燃えよドラゴンズ!」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|