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『燃える恋』(もえるこい、)作品129は、ヨーゼフ・シュトラウスが作曲したポルカ・マズルカであり、代表作のひとつである。『灼熱の恋』とも。演奏時間はおよそ5分である。 == 作曲背景 == 1856年、ワルツ王ヨハン・シュトラウス2世はロシア帝国の鉄道会社と契約を結び、毎年夏になるとパヴロフスクの駅舎で演奏会を催すようになった〔 若宮(2012) p.66〕。1862年4月、ヨハン2世は7回目となるパヴロフスク訪問をしたが、8月頃にウィーンのシュトラウス一家のもとに、ヨハン2世が現地で体調を崩したという知らせが届いた〔加藤(2003) p.138〕。そのため、ヨハン2世の弟ヨーゼフ・シュトラウスが病身となった兄の代理を果たすためにロシアに急行することになった〔。 ロシアでヨーゼフは兄に面会したが、ヨハン2世に病気らしい様子はみられず、兄はその4日後に突然ウィーンへの帰路についた。ヨハン2世はウィーンに戻るとただちに、自身の結婚のための準備に取りかかった〔。ヨーゼフは妻カロリーネに宛てて「兄は医師や教授らすべての人をかついだのだ」と手紙をしたためている〔。 兄ヨハン2世はウィーンに帰っていったが、そうすると否応なしにヨーゼフは代理としてそのままロシアに留まらざるを得ない。こうして、1862年はヨーゼフが兄の代理として、パヴロフスク駅舎での仕事を引き継ぐことになった〔〔 ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート2012曲目解説 より〈燃える恋〉〕。最愛の妻カロリーネをウィーンに残して、夏のシーズンをヨーゼフは一人きりで過ごさなければならなくなったのである。 この『燃える恋』は、まさにその1862年にロシアの地で作曲されたものである。ヨーゼフは、ウィーンに残してきた愛する妻カロリーネのことを想い、離ればなれになってしまった切なさや深い愛情をこの曲で表現したという〔。なお、初演は1863年である〔井上(2009) p.286〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「燃える恋」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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