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『父の詫び状』(ちちのわびじょう)は、日本の脚本家 、小説家の向田邦子が、1978年(昭和53年)に発表した 随筆集。1986年(昭和61年)にテレビドラマ化された。 ==作品誕生の経緯とその概要== 向田邦子は、1952年(昭和27年)から市川三郎のもとで脚本の書き方を学び、1960年ごろから脚本家としてテレビドラマのシナリオを中心に執筆活動をはじめた。『時間ですよ』などヒット作品を数多く生み出し、1970年代を代表する人気脚本家として華々しい活躍を続けていたが、1975年(昭和50年)、乳癌が発見され入院。幸い初期段階であったため、手術は無事に成功し、翌年には退院した。しかし手術時の輸血が原因で肝炎を発症したために施された絶対安静措置が手術創の拘縮を助長し、右腕が利かなくなる後遺症が残っていた。 そんな折り、当時文藝春秋の相談役であった車谷弘から都市情報誌『銀座百点』への随筆連載を打診される。向田は自分をためしてみるため、左手で執筆することを思い立ち、連載の依頼を快諾した。向田は子供時代の自分の家庭の回想を中心に日常的な話題を盛りこんだ随筆を執筆。『銀座百点』の1976年(昭和51年)2月号から1978年(昭和53年)6月号にかけて約2年間にわたって連載を続けた。向田の随筆家としてのデビューとなったこの連載は好評で、連載終了後間もなく『父の詫び状』のタイトルで単行本化された。昭和における日本の家庭像を見事に描いたものとして〔ただし、エッセイストの高島俊男は著書『メルヘン誕生―向田邦子をさがして』(いそっぷ社、2000年、ISBN 978-4900963139)において、向田の家庭は戦前においてはきわめて経済的に恵まれた家庭であり、それが近年に「戦前のごく普通の一家」と思われていることには向田自身の無自覚な欺瞞もあると批判を行った。〕 、今日では向田邦子の代表的な随筆作品と評価されることが多い。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「父の詫び状」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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