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片山哲 : ミニ英和和英辞書
片山哲[かたやま てつ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 

片山哲 : ウィキペディア日本語版
片山哲[かたやま てつ]

片山 哲(かたやま てつ、1887年(明治20年)7月28日 - 1978年(昭和53年)5月30日)は、日本弁護士政治家位階従二位勲等勲一等
社会民衆党書記長(初代)、衆議院議員(12期)、社会大衆党執行委員、日本社会党書記長(初代)、日本社会党委員長(初代)、内閣総理大臣(第46代)、民主社会党常任顧問などを歴任した。
== 来歴・人物 ==

=== 第二次世界大戦前 ===
和歌山県田辺市に生まれる。和歌山県立田辺中学校(現・和歌山県立田辺高等学校)、第三高等学校(現・京都大学)を経て、一家で同郷の人物で「軍艦行進曲」の作詞者・鳥山啓宅に寄宿、東京帝国大学法学部独法科卒業。卒業後YMCA寄宿舎の一室を借りて「簡易法律相談所」を開設、弁護士として活動した。
社会民衆党の結成に参加し、書記長に就任した。1930年(昭和5年)に神奈川2区から衆議院議員に初当選。以後、当選12回を数えた。しかし、第21回衆議院議員総選挙(翼賛選挙)で1度、首相経験者として1949年(昭和24年)の衆院選・1963年(昭和38年)の衆院選で落選を2度も経験している(首相経験者が公選選挙で落選した例として他に石橋湛山海部俊樹がいるが、首相経験者として2度落選したことがあるのは片山だけである)。1932年の社会大衆党の結成に参加し、同党では中央執行委員会の委員などを務めた。無産政党の運動の流れとしてはいわゆる「社民系」として活動し、安部磯雄西尾末広らと共に反軍演説をした斎藤隆夫の除名決議では不登院という形で棄権するなどした。しかし、これを理由として社会大衆党を除名された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「片山哲」の詳細全文を読む




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