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片岡 篤史(かたおか あつし、1969年6月27日 - )は、京都府久世郡久御山町出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。現役時代には、日本ハムファイターズと阪神タイガースに所属していた。 現役引退後の2010年から、阪神で一軍打撃コーチを担当。2012年限りで退任した後は、野球評論家・野球解説者・タレントとして活動するかたわら、芦屋大学で客員教授を務めていた。2016年からは、阪神で再び一軍打撃コーチを務める。 == 経歴 == === プロ入り前 === 中学校時代はシニアリーグの出身で、ボーイズリーグ出身の立浪和義とは試合をしたことがなかった〔立浪和義『負けん気』(文芸社、2010年2月、ISBN 978-4286088532/増補版、文芸社文庫、2014年2月、ISBN 978-4286148939)96 - 98頁〕。シニアでは有名な強打者であり、「京都の怪物」の異名をとっていたが、体は大きいが要領が悪く、洗濯機を奪い合う競争にもいつも負けていた〔。同期の1年生たちが先輩たちのユニフォームの洗濯を終えて眠りをむさぼる深夜、ようやく片岡は洗濯機に先輩のユニフォームを突っ込んでうなだれているという有様だった。そんな片岡の様子を、立浪は「いつか、寮から逃げ出すのではないか」とずっと心配していたという〔。 高校2年の秋の大会で片岡は一応レギュラーのポジションを獲ったが、まだバッティングに安定感がなく、期待通りに打つことはできなかった〔。片岡は左打者であるため、相手チームのエースが左投手だとスターティングメンバーから外されたりして悩んでいたという〔。ライバル校である大阪桐蔭高校の1年生には、後に立浪とともに中日ドラゴンズでプレーした左のエース・今中慎二がいたため、彼が出てくると先発から外された〔。ここという大一番で出番がないのが片岡の課題だった〔。そんな片岡に何とかレギュラーに定着してほしいと、立浪は寮で同じ部屋になったという〔。秋が深まり寒さが厳しくなった時期、「悩むくらいなら、毎朝一緒に落ち葉掃きをしないか!」と立浪から提案され、毎朝5時半に起きて約1時間、グラウンドの周りの落ち葉を掃除し続けた〔。最初、片岡は立浪から起こされてもなかなか布団から出ようともしなかったが、日を重ねるにつれて片岡も自分から起き出すようになり、立浪曰く「晴れやかな気持ちで一日が始まる快感を知ると、最初の眠気にさえ勝てば、むしろ楽しみになる」ほどとなり、落ち葉がとうとう落ちなくなるほどまで続けられたという〔。この落ち葉掃きの成果かどうかはわからないが、春になって片岡のバッティングはめきめきと良くなり、片岡はすっかり不動のレギュラーとなった〔。 PL学園高校時代、4番打者としての甲子園で春・夏連覇を果たす。同期に立浪・橋本清・野村弘ら、1学年下には宮本慎也、2学年上には清原和博・桑田真澄がおり、清原の付き人であった。また、2学年下には清原和博の弟の清原幸治がおり、3年時の片岡の付き人であった。 卒業後は同志社大学に進学。関西学生野球リーグで春季に首位打者になる。リーグ戦通算91試合出場、311打数100安打、打率.322、10本塁打、48打点。ベストナイン4度受賞。 1991年ドラフト2位で日本ハムファイターズに入団。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「片岡篤史」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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