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片岡 義男(かたおか よしお、1939年3月20日 - )は、日本の小説家、エッセイスト、写真家、翻訳家、評論家である。 == 人物 == 東京生まれ。幼少期を東京で過ごし、戦時疎開で山口県の岩国に移り、終戦を迎える(広島に投下された原爆のキノコ雲を目撃、記憶している)。10歳のとき広島県の呉に移り、瀬戸内で過ごしたあと東京に戻る(13歳)〔片岡義男『洋食屋から歩いて5分』東京書籍、2012年、p.184-190〕。のち都立千歳高校を経て、早稲田大学法学部を卒業。 祖父の片岡仁吉は山口県の周防大島出身で、ハワイに移民した人物。父の定一は日系二世〔堀雅昭『ハワイに渡った海賊たち 周防大島の移民史』弦書房刊、2007年8月発行〕で、片岡義男自身も少年期にハワイに在住し、当地で教育を受けた経験がある。 大学在学中の1960年代初頭よりライターとして活動を開始し、エッセイ、コラム、翻訳などを『マンハント』や『ミステリマガジン』などの雑誌に発表する傍ら、テディ片岡名義でジョーク本やナンセンス小説等を手掛ける。また、パロディ創作集団「パロディ・ギャング」を水野良太郎、広瀬正、伊藤典夫、豊田有恒、小鷹信光、しとう・きねおらと結成しても活動する。 評論の分野では、1971年に三一書房より『ぼくはプレスリーが大好き』、1973年に『10セントの意識革命』を刊行。また、植草甚一らと共に草創期の『宝島』編集長としても活躍する。 1974年『白い波の荒野へ』で小説家としてデビュー。翌年には『スローなブギにしてくれ』で第2回野性時代新人文学賞を受賞し、直木賞候補となる。1970年代後半からは「ポパイ」をはじめとする雑誌にアメリカ文化や、サーフィン、ハワイ、オートバイなどに関するエッセイを発表する傍ら、角川文庫を中心に多くの小説を発表。またFM東京の深夜放送番組「きまぐれ飛行船〜野生時代〜」のパーソナリティを務めた他〔1974年から1986年までの13年間、毎週月曜日の深夜、午前1時から3時まで放送されていた。初代パートナーは、ジャズ・シンガーの安田南、二代目パートナーはライターの温水ゆかり。KHR極東放送によって、沖縄でも放送されていた。〕、パイオニアから当時発売されていたコンポーネントカーステレオ、「ロンサム・カーボーイ」のテレビCM〔CMにはウォーレン・オーツが出演していた。〕のナレーションを担当したりと、当時の若者の絶大な支持を集めた。 代表作である『スローなブギにしてくれ』、『彼のオートバイ、彼女の島』、『メイン・テーマ』は角川書店の手により、また『湾岸道路』、『ボビーに首ったけ』は東映で映画化されている。 近年は『日本語の外へ』などの著作で、英語を母語とする者から見た日本文化論や日本語についての考察を行っているほか、写真家としても活躍している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「片岡義男」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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