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片桐 ユズル(かたぎり ゆずる、本名は譲。1931年1月1日 - )は、詩人、京都精華大学名誉教授。専門は意味論と英語など。社会運動家、京都精華大学元学長の中尾ハジメは弟。妻は、「ほんやら洞」で英会話教室の講師をしていた片桐庸子。 == 経歴 == 1931年東京生まれ。早稲田大学卒。同大学院英文科修士課程修了。戦前の体験から、「ことばの魔術」に批判的な態度をもつようになり、ベーシック・イングリッシュや一般意味論に興味を持つようになった。1955年、東京都立杉並高等学校着任。以来、高校・大学で、英語教授法であるGDM(段階的直接法)による授業・講義を行う。 1959年〜1960年、サンフランシスコ州立大学留学。この際、のちに『ボブ・ディラン全詩集』を共訳する中山容と出会う。 1960年代から70年代へかけて関西フォーク運動とかかわる。1967年8月、フォークなどに関するミニコミ新聞『かわら版』創刊号に中川五郎らとともに執筆。1970年代、大阪・なんば元町にあったコーヒーハウス「ディラン」(店主・大塚まさじ)で、様々なミュージシャンらと交流〔「福岡風太と喫茶〈ディラン〉の時代」- 井口啓子の西日本ロック紀行 No. 147 (OOPS! コラム 2007年5月2日 )〕、1972年、中山容、岡林信康、中尾ハジメらとともに京都の喫茶店「ほんやら洞」を開店〔「京都ほんやら洞'68〜'74 連載1」 - 甲斐扶佐義 まえがき (京都ほんやら洞サイト内)〕して、中川五郎、中山ラビらが集まり、関西フォークの人脈を形成。ビート詩人の自作詩のポエトリー・リーディングの影響を受け、秋山基夫、有馬敲、中山容らオーラル派の詩人グループとして、各地で、朗読会を企画・開催した。 1974年から翌年にかけて、アルバム「関西フォークの歴史 1966〜74」(URCレコード)、小冊子「関西フォークの歴史についての独断的見解」(URCレコード)などの編集と執筆に関わる。 1985年、一般意味論研究所客員研究員。1987年〜1988年、米国アンティオク大学交換教授。1993年、アレクサンダー・テクニークにもとづく教師養成コースを京都で設立、1997年に公認教師となる。この間、京都精華大学教授、2002年定年退任、名誉教授。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「片桐ユズル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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