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牛島 貞雄(うしじま さだお、1876年1月30日 - 1960年9月1日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 == 経歴 == 熊本県出身。牛島義雄の五男として生まれる。1893年(明治26年)12月、陸軍教導団に入り、1900年11月、陸軍士官学校(12期)を卒業。翌年6月、歩兵少尉に任官し歩兵第23連隊付となる。 1904年7月、歩兵第24旅団副官となり日露戦争に出征。1906年3月、歩兵第23連隊中隊長となり、歩兵第1連隊中隊長を経て、1912年(大正1年)11月、陸軍大学校(24期)を卒業した。 1913年5月、参謀本部員となり、歩兵第54連隊大隊長、陸大教官を経て、1921年11月から翌年2月までアメリカ合衆国に出張。帰国後、陸大付となり、歩兵第3連隊長、参謀本部課長などを経て、1930年12月、陸軍少将に昇進し豊予要塞司令官となった。 歩兵第29旅団長、陸大幹事、同校長などを歴任し、1931年8月、陸軍中将に進んだ。第19師団長を務め、1935年3月、予備役に編入されたが、1937年9月、第18師団長として召集された。第18師団は第二次上海事変の更なる増援軍として第6師団・第114師団とともに第10軍に編入され杭州湾に上陸し中国軍の背後からの攻撃にあたる。上海戦の後南京攻略戦に参加、第10軍廃止後は中支那派遣軍隷下となり占領地の治安維持に当たった。 翌年7月に召集が解除され、以後、陸軍司政長官(フィリピン・ビサヤ支部長)、帝国在郷軍人会副会長を務めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「牛島貞雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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