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牛深ハイヤ節(うしぶかハイヤぶし)は、熊本県天草市牛深(旧牛深市)で江戸時代から伝わる「元祖ハイヤ節」である。現在では全国40ヶ所以上のハイヤ系民謡のルーツとなっている〔イベント情報 - 牛深ハイヤ祭り開催 / 天草市ホームページ 〕。 == 由来や歴史 == * 作曲者不詳で、江戸時代から伝わっており、牛深市無形民俗文化財に指定される。 * 牛深の天然の良港は、海運の中継基地にもなり、諸国の帆船が出入りし、また漁船の往来も盛んであったそんな頻繁に行われる船の往来から導き出されたものがハイヤ節である。 * 当時熊本を中心に唄われていた「二上がり甚句」を奄美から伝わった「六調」という南国特有の熱狂的なリズムで味付けをし、独特の節回しを持つ「牛深ハイヤ節」が誕生したと言われる。 * ハイヤという名前の由来は、元々"南風"のことを九州で"ハエの風"と呼んでいることが起因で、ハエがハエヤになり、やがてハイヤへと訛っていったと言われている。 * 北側を山に、残り三方を海に囲まれた牛深は、南風が吹くと雨が降りやすく、海が荒れて出航できなくなるため、そんな風待ちの酒盛りの席で良く唄われていた。 * 江戸時代、帆船の舵取りは一晩中唄うことが義務付けられていたため、船頭たちにとって、シケの時の酒盛りは、唄を仕入れる格好の場となっていた。 * 風待ちやシケ待ちのため牛深に寄港した船乗りたちは、陽気な「ハイヤ節」を肴に酒宴を開き、その思い出を「牛深三度行きゃ三度裸、鍋釜売っても酒盛りゃしてこい」と唄い、次の港へと伝えていった。それが、全国各地40ヶ所以上の地方へ伝わり、その土地土地の民謡にハイヤを取り入れた事から「牛深ハイヤ節」は全国40ヶ所のハイヤ系民謡のルーツと言われている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「牛深ハイヤ節」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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