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牛久保城(うしくぼじょう)は三河国宝飯郡牛久保(はじめ牛窪、後に牛久保に改称、愛知県豊川市牛久保町)にあった日本の城(平城)。 == 概要 == 三河国聞書・三河国ニ葉松によると、牧野出羽守保成の築城。 天正18年(1590年)に牧野康成は徳川家康の関東移封に従って上野国勢多郡大胡に2万石を領して移動した。牛久保城は吉田城に入った池田輝政の支城となり、重臣の荒尾成久(平左衛門)が城主となった。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後は牛久保周辺は天領となり、城郭の一部が代官所になるなどして機能していたが、元禄13年(1700年)に廃城となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「牛久保城」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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