翻訳と辞書
Words near each other
・ 牟田圭吾
・ 牟田城
・ 牟田将士
・ 牟田将士 (サッカー選手)
・ 牟田弘國
・ 牟田弘文
・ 牟田悌三
・ 牟田悌三 あなたのための税金相談
・ 牟田悌三のあなたのための税金相談
・ 牟田悌三の年金相談
牟田敬九郎
・ 牟田桂子
・ 牟田武生
・ 牟田泰三
・ 牟田浩二
・ 牟田清司
・ 牟田部駅
・ 牟田雄祐
・ 牟田高惇
・ 牟知列岩


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

牟田敬九郎 : ミニ英和和英辞書
牟田敬九郎[く]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [く]
  1. (num) nine 

牟田敬九郎 : ウィキペディア日本語版
牟田敬九郎[く]
牟田 敬九郎(むた けいくろう、1855年7月-8月安政2年6月〉 – 1932年大正2年〉1月2日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将〔『日本陸軍将官総覧』139項〕、佐賀県出身〔。
== 人物 ==
1878年(明治11年)陸軍士官学校(旧1期) 卒業。陸軍砲兵少尉任官。以降、累進して砲兵第3連隊副官(大尉)、野砲兵第1連隊第2大隊長(少佐)、東部都督部参謀(中佐)、野砲兵第6連隊長(大佐)、近衛師団参謀長、等を歴任した。1902年(明治35年)5月5日陸軍少将となり当日付で舞鶴要塞司令官を拝命。2年後の日露戦争では第3軍砲兵部長を務めた。1906年(明治39年)3月、舞鶴要塞司令官を免ぜられて下関要塞司令官となったが、僅か3ケ月で韓国駐剳軍参謀長に転任となった。1908年(明治41年)12月、陸軍中将に昇進して再び下関要塞司令官に補され、1910年(明治43年)11月の予備役編入まで務めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「牟田敬九郎」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.