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牧野 康済(まきの やすまさ)は、信濃小諸藩の第10代(最後)の藩主。越後長岡藩分家牧野家12代。別名康民。 == 生涯 == 天保12年(1841年)1月9日、第9代藩主牧野康哉の長男として生まれる。安政6年(1859年)11月16日に従五位下・周防守に叙位・任官する。文久3年(1863年)3月16日に内膳正に遷任する。そして同年に父が死去したため、家督を継いだ。元治元年(1864年)3月26日に遠江守に遷任する。 弟の信之助が有能・活発であったため、重臣の一部から廃嫡運動がおきた。 慶応4年(1868年)からの戊辰戦争では最終的に新政府に帰順するが、その後の北越戦争への出兵は拒否し、碓氷峠の守備を務めるにとどまった。これは、小諸藩牧野家の本家である越後長岡藩の牧野家と戦うのを嫌ったためという。 明治2年(1869年)、小諸騒動により謹慎処分を受けたが、版籍奉還で小諸藩知事となる。明治4年(1871年)7月の廃藩置県で藩知事を免官された。その後、康民と改名する。 明治17年(1884年)の華族令で子爵となる。大正7年(1918年)1月15日に死去した。享年78(ただし、明治15年(1882年)11月25日死亡説もある)。 category:小諸藩主 category:譜代大名 category:日本の子爵 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「牧野康済」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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