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牧野忠周 : ミニ英和和英辞書
牧野忠周[まきの ただちか]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ぼく, まき]
 【名詞】 1. pasture 2. grazing land
牧野 : [ぼくや, まきの]
 【名詞】 1. pasture land 2. ranch 
: [の]
 【名詞】 1. field 
: [しゅう]
 【名詞】 1. circuit 2. lap 3. circumference 4. vicinity 5. Chou (dynasty)

牧野忠周 : ウィキペディア日本語版
牧野忠周[まきの ただちか]

牧野 忠周(まきの ただちか)は、越後長岡藩の第5代藩主。長岡藩系牧野家宗家6代。
== 生涯 ==
享保6年(1721年)9月21日、第4代藩主・牧野忠寿の次男として江戸藩邸で生まれる。母は側室の丸山伝兵衛の娘フヂ。忠寿正室に第1子が生まれた直後の出生のためか、はじめ吉川政五郎と称し、牧野姓ではなかった。
嫡子である兄が夭折し、以降も父の正室からの男子の出生がなかったので、享保10年(1725年)1月から牧野姓に復し、11月に庶出の姉妹で長岡出生である八千姫とともに忠寿正室の養子となり、嫡子となる。
享保18年(1733年)11月に老之助に改名し、12月に従五位下、民部少輔に叙任する。翌年(1734年)には徳島藩主・蜂須賀宗員の妹と結納を交わして婚約する。享保20年(1735年)、父の死去により14歳で家督を継いだ。元文3年(1738年)、蜂須賀家との縁談が破談となり、妹の直姫を養女とする。翌年(1739年)、日向延岡藩主で当時奏者番寺社奉行であった牧野貞通の嗣子である忠敬を養嗣子とする。
寛保2年(1742年)に幕府より5000両借用する。
延享3年(1746年)4月4日、病気のために養嗣子・忠敬に家督を譲って隠居し、以後江戸藩邸で暮らす。土佐守に転任。宝暦12年(1762年)に忠軌と改めた。明和9年(1772年)6月28日に死去した。享年52。墓所は東京都港区三田の済海寺。のち新潟県長岡市悠久山

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「牧野忠周」の詳細全文を読む




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