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牧野 明(まきの あきら、1922年(大正11年)頃 - 2007年(平成19年)5月)は、大日本帝国海軍の衛生兵。太平洋戦争中にフィリピンで生体解剖へ関与していたと、初めて証言した人物である。 == 略歴 == 牧野は、志願兵として日本海軍に入った。衛生兵となった牧野は軍医ら約20人の部隊に配属となり、22歳だった1944年(昭和19年)に他の1500人ほどとともに戦艦「大和」に便乗して、日本軍占領下だったフィリピンのミンダナオ島西部サンボアンガへ派遣された〔Ozawa, Harumi 「フィリピンでの人体実験を語る旧日本軍兵士 」 AFPBB News 2007年11月2日(2012年8月16日閲覧)〕。サンボアンガには日本海軍の航空基地があり、第33警備隊などの守備隊が展開していた〔防衛庁防衛研修所戦史室 『捷号陸軍作戦(2)ルソン決戦』 朝雲新聞社〈戦史叢書〉、1972年、638-639頁。〕。牧野の部隊は敵の航空機に対する監視を任務としたという〔。サンボアンガは牧野らの進出後に孤立して補給が途絶え、医薬品など物資が不足した状態となった。また、イスラム教系少数民族のモロ族を中心とする現地ゲリラの襲撃に悩まされた〔。 サンボアンガにも1945年(昭和20年)3月にアメリカ軍が上陸し、日本軍守備隊は敗北した。サンボアンガ駐留の日本海軍部隊はアメリカ軍上陸時に4600人を数えたが〔、終戦時に生存していたのは約400人であった〔防衛庁防衛研修所戦史室 『南西方面海軍作戦 第二段作戦以降』 朝雲新聞社〈戦史叢書〉、1972年、564頁。〕。牧野は生き残って日本へと帰国できた。 牧野は、終戦の日から60年が経過して妻も死去した後の2006年(平成18年)に、サンボアンガでの従軍中に生体解剖に関与していたとする体験談を初めて発表した〔。フィリピンでの生体解剖を証言する者はそれまで一人もいなかった。牧野の証言は日本のマスコミによって報じられ、日本国内で論争を生じた〔。また、牧野の証言は、共同通信によって配信された記事をもとに、BBCやガーディアンなど国外のマスコミでも報道された〔〔。その後、2006年12月には大阪市内の病院に入院していたが、2007年5月に84歳で死去した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「牧野明」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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