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牧野 親成(まきの ちかしげ)は、江戸時代前期の大名。下総関宿藩の第2代藩主、後に丹後田辺藩の初代藩主。江戸幕府京都所司代。丹後田辺藩牧野家2代。 == 生涯 == 慶長12年(1607年)、旗本牧野信成の次男として生まれる。兄九右衛門の早世により嗣子となった。父から独立した旗本として取り立てられ、幼少期から第2代将軍徳川秀忠の小姓役などを務めた。寛永10年(1633年)1月に膳番に、8月に徒頭に任じられて上総高根村に1,000石を与えられた。寛永19年(1642年)3月に書院番頭、寛永21年(1644年)3月に4,000石を加増、さらに父の旧領である武蔵足立郡石戸1,000石を加増され、5,000石の大身旗本となった。 正保4年(1647年)11月26日、父が病により隠居したため、関宿藩第2代藩主となる。承応2年(1653年)9月、久世広之や土屋数直らと共に第4代将軍家綱の側衆として幕政に参与する。承応3年(1654年)に辞職した板倉重宗の後任の京都所司代に任じられ、河内国内で1万石を加増された。明暦2年(1656年)8月5日には京都所司代であるという都合上、所領を河内・摂津国内に移封された。 寛文8年(1668年)5月、摂津・河内国内から丹後田辺に移封された。藩政では家臣団の整理や藩政の基礎固めに専念している。延宝元年(1673年)9月29日、家督を弟の富成に譲って隠居する。その後、剃髪して哲山と号した。 延宝5年(1677年)9月23日に死去。享年71。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「牧野親成」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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