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物理学史 : ミニ英和和英辞書
物理学史[ぶつりがく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [もの]
 【名詞】 1. thing 2. object 
物理 : [ぶつり]
 【名詞】 1. physics 
物理学 : [ぶつりがく]
 【名詞】 1. physics 
: [り]
 【名詞】 1. reason 
理学 : [りがく]
 【名詞】 1. physical science 
: [がく]
 【名詞】 1. learning 2. scholarship 3. erudition 4. knowledge 

物理学史 ( リダイレクト:物理学の歴史 ) : ウィキペディア日本語版
物理学の歴史[ぶつりがくのれきし]

本項では、学問としての物理学の発展の歴史(英語:history of physics)を述べる。
自然科学は歴史的に哲学から発展してきた。物理学は、もともと自然哲学と呼ばれ、「自然の働き」について研究する学問分野を表していた。英語の''physics''という単語は、ギリシア語で「自然」を意味するφύσις(''physis'')に由来する。

== 初期の歴史 ==
物理学を構成する学問分野の研究は、天文学光学力学といった分野から始まり、これらは秩序だって幾何学に統合された。これらの古代の学問は、バビロニアヘレニズムの、例えばアルキメデスプトレマイオスによって記述された。一方、いわゆる「物理学」を含む哲学は、アリストテレスの「4大元素」の考えを元に大きく発展してきた。
自然の論理的な理解への探求は、古代ギリシアで少なくとも紀元前650年頃から480年頃には、ソクラテス以前の哲学者によって始められた。自然現象に対する超自然的、宗教的、神話的説明を受け入れることを拒み、全ての出来事には理由があると主張した哲学者タレス(紀元前7世紀から紀元前6世紀)は「科学の父」と呼ばれている〔Singer, C. ''A Short History of Science to the 19th century.'' Streeter Press, 2008. p. 35.〕。レウキッポス(紀元前5世紀前半)は、全ての物体は原子と呼ばれる不滅不分割の粒子で構成されているという原子論を発展させた。この考えは、デモクリトスによって大きく発展した。
アリストテレス(紀元前384年-紀元前322年)はプラトンの弟子であり、物理現象の観察は、究極的にそれらを司る自然法則の発見につながるという考えを推し進めた。彼は一連の「物理学」の研究に関する文献『自然学』を初めて著した。紀元前6世紀から紀元前4世紀頃のギリシア古典時代及びヘレニズム時代には、自然哲学は徐々に論争の多い学問分野に発展していった。
ギリシア古典時代の初期には、地球は球形であるということは既に広く知られており、紀元前240年頃にエラトステネス紀元前276年-紀元前194年)がその周長を正確に測定した。アリストテレスの地球中心的な見方とは対照的に、アリスタルコス紀元前310年-紀元前230年)は、地球ではなく太陽を中心に置いた地動説を明確に主張した。アリスタルコスの考えを継いだセレウコスは、地球は自身の軸を中心として自転し、それが太陽の周りを公転していると述べた。プルタルコスは、根拠を持って太陽系を証明した最初の人物はセレウコスであると述べている。
紀元前3世紀には、ギリシアの数学者アルキメデスが流体静力学静力学の基礎を作り、てこの原理を説明した。紀元前250年頃に書かれた著書''On Floating Bodies''の中で、アルキメデスは浮力の法則を発展させ、いわゆるアルキメデスの原理について述べている。天文学者プトレマイオスは包摂的な天文学の解説書『アルマゲスト』を著し、その後の科学の基礎を作った。
古代において蓄積された知識の多くは失われた。有名な思想家の著書でさえ失われ、その断片だけが残った。ヒポクラテスは少なくとも14冊の著書を著したが、そのほとんどは失われた。アリストテレスは150の著書を著したと伝えられているが、残っているのはわずか30冊であり、そのいくつかは講義ノート程度のものである。アッバース朝カリフは古代の文献を多く集め、それらをアラビア語に訳させた。キンディーファーラービーイブン・スィーナーイブン・ルシュド等のイスラムの哲学者は、ギリシアでの成果を彼らの宗教を通して再解釈した。特にイブン・アル・ハイサムアブー・ライハーン・アル・ビールーニーによって大きな貢献がなされ〔Mariam Rozhanskaya and I. S. Levinova (1996), "Statics", p. 642, in 〕、最終的に西ヨーロッパに伝わってロジャー・ベーコンウィテロによって研究された。
古代ギリシアの成果は、アラビア語からラテン語への翻訳によって西洋に再びもたらされ、ユダヤ-イスラムの理論と結びついて中世哲学に大きな影響を与えた。トマス・アクイナススコラ学者達は、古代ギリシアの哲学とキリスト教神学との調和を探り、アリストテレスを古代世界で最大の思想家とみなした。聖書と直接矛盾しない限り、アリストテレス物理学は、ヨーロッパの教会で物理現象を説明する際の基礎とされた。
アリストテレス物理学に基づいて、スコラ物理学では、物体をその本質に従った動きとして記述した。完全な円運動天球の非腐敗領域に存在する天体の生来の性質と考えられたため、天体は円運動として記述された。慣性モーメントの考えの祖先となったインペトゥス理論は、ジョン・ピロポノスジャン・ビュリダンらの中世哲学者によって発展させられた。月の軌道より下にある物体の運動は不完全なように見え、そのため一貫性のある運動とは見なされなかった。月以下の領域でのより理想的な運動は、人工物によってのみでしか達成されず、17世紀以前の多くの人には、自然科学の研究には正当な意味を見いだせなかった。石は土の元素を含み、土質の物体は地球の中心に向かって真っ直ぐ動く傾向があるという風に、この頃の月以下にある物体の運動の物理的な説明は、「傾向」を中心にしていた。
古代中国やインドでも、物理学や数学上の重要な伝統が生まれていた。インド哲学では、ヴァイシェーシカ学派カナーダが紀元前1千年紀に原子論に似た考えを提案し、この考えはその後の1千年で、法称陳那によって仏教的原子論として発展した〔(Stcherbatsky 1962 (1930). Vol. 1. P. 19)〕。インド天文学では、アリヤバータの『アーリヤバティーヤ』(499年)の中で地球の自転について述べられ、またニラカンタ・ソマヤジ1444年-1544年)はティコ・ブラーエが提案したのと似たような太陽系のモデルを提案した。中国の哲学者墨子紀元前470年頃-紀元前390年)は、慣性と似た概念を考えた。光学分野では、沈括1031年-1095年)が独立にカメラ・オブスクラを発明した〔Joseph Needham, Volume 4, Part 1, 98.〕。中国における磁性の研究は紀元前4世紀の''Book of the Devil Valley Master''に遡り〔Li Shu-hua, “Origine de la Boussole 11. Aimant et Boussole,” ''Isis'', Vol. 45, No. 2. (Jul., 1954), p.175〕、方位磁針の発明に繋がった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 History of physics 」があります。




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