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物部 薫郎(もののべ / ものべ〔 くんろう、1901年(明治34年)2月1日〔『新編日本の歴代知事』531頁。〕 - 1977年(昭和52年)2月3日〔『長野県歴史人物大事典』722頁。〕〔『朝日新聞』(東京本社発行)1977年2月6日朝刊19頁。〕)は、日本の内務・厚生官僚。長野県知事。旧姓は平松。 ==経歴== 岡山県川上郡湯野村(現在の高梁市備中町東油野)出身〔『岡山県歴史人物事典』1004頁。〕。平松瀧之助の三男として生まれ、同郡平川村、物部真一の養子となる〔。岡山県第一岡山中学校、第六高等学校を卒業。1924年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1925年、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。内務省に入省し東京府属となる〔〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』249頁。〕。 以後、石川県学務課長、長野県学務部長、厚生書記官・失業対策部事業課長、同衛生局保健課長、内務省監査官、内務書記官・防空局企画課長兼整備課長〔『官報』第4648号、昭和17年7月9日。〕、愛知県部長・経済部長などを経て、同県内務部長となる〔〔。 1945年10月、長野県知事に就任。同年11月の通常県会で県官吏の戦争責任を追及され、「政府方針、県の方針に従って実行した官吏には、戦争責任はない」と発言して批判を受けた〔。1947年3月、同県知事選挙に出馬のため知事を辞任したが落選した〔。その後、1951年まで衆議院行政監察特別委員会事務局長を務めた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「物部薫郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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